生物工学会誌 第96巻 第1号
会長 木野 邦器

新年を迎えて今月号から表紙がリニューアルされた。生物工学が扱う素材や技術をイメージした魅力的なデザインは本学会をわりやすく紹介し、毎号変わるデザインは読者を楽しませてくれるはずである。

昨年も世界的に社会全体が落ち着かない不安定な一年であったように思う。温暖化による異常気象ばかりではなく、政治も社会も経済も地球規模で不確実で不安定な状況にある。もちろん、こうした状況はさまざまな人間活動に起因するものであることを強く認識しなくてはならない。ところで、昨今の企業における不祥事は何とも嘆かわしい。長年にわたり受け継がれてきた多くの経験や知識をもとに、さらに極みを目指そうとする熱意と工夫によってオンリーワン製品を作り出す高度な技術は、日本が得意とする生産技術改良によるものづくりとあわせて“技術立国日本”を支えてきた。これまでの日本の科学技術は匠の技に代表されるようにこだわりを持った研究者や技術者で支えられてきたが、利益を追求するが故に合理的な経営・管理手法に基づいた運営が主導的となり、優秀だが現場を知らないリーダーが多くなってきた。その結果、暗黙知で築かれてきた技術の継承が難しくなっている。グローバル化や標準化が進むとその傾向はさらに強くなるように思う。

日本の伝統的な匠の技があらためて海外から注目されているが、技術の本来あるべき姿やそれに打ち込む人間のこだわりへの理解が世界共通であることを示すものとして大変嬉しく思っている。日本では文化や芸事、武術に対して、茶道、華道、書道、剣道、柔道などと求道的な意味で「道」と名付けることが多い。それは、巧拙や勝敗よりも、自己の精神修養や他者への敬意、感謝の心を尊重する日本人固有の考え方に基づくもので、伝統的な匠の技のみならず自身に課せられた仕事に対する取組み方にも通じている。道を究めることにはゴールはなく、自分自身との戦いがより洗練された高度な技術を作り上げていくと信じている。しかしながら、この職人技とも言える伝統的な匠の技とその世界観を伝える後継者の不足はきわめて危機的な状況にある。

一方、政府は第5期科学技術基本計画において、人々に豊かさをもたらす「超スマート社会(Society 5.0)」を未来社会の姿とし、IoTやAIなどのサイバー空間と現実社会であるフィジカル空間を高度に融合させる取組みを推進することでその実現を目指そうとしている。とくに、OECDが生物資源とバイオテクノロジーを用いて地球規模の課題の解決と経済発展の共存を目指す「バイオエコノミー」を提唱していることもあり、アカデミアや企業に対する革新的な技術創出への期待は大きい。生物工学にとっては今がチャンスと捉えるべきで、その使命を果たす時を迎えている。

この大きな動きの中で、本学会としては枠にとらわれない自由な発想と挑戦的な取組みによって魅力的なテーマの立案とイノベーション創出に挑んでいきたい。こだわりを持った真摯な姿勢が新たな可能性と境地を切り拓くものと信じている。酒造りの工程にある“火入れ”は、パスツールが「低温殺菌法」というワインの腐食防止技術を開発する300年前から確立していた“経験的な知”に基づく匠の技である。“こだわり”から創意工夫により技術が洗練され、さらに研ぎ澄まされて技術の革新が起きるものと考えている。

最近、多くの分野で若い人の活躍が目立つが、その中でも、史上最年少で将棋のプロ棋士となった藤井聡太四段のデビューからの公式戦29連勝は、世代を越えて多くの人に鮮烈な印象を与えた。完璧ではない“人としての危うさ”の中で、運をも引き寄せる彼の精神的な強さと読みの深さに魅了された。しかも、AIを取り入れて自身の技術を高めるという今の若者らしい取組み方もしている。

デジタル化が進み、究極的な合理化の時代になっても人の知的・精神活動が社会の主体であると信じている。未来社会の良し悪しは、それを動かす人の資質に大きく依存することは間違いのない事実である。本学会においては、近未来の科学技術の主軸になるであろうバイオテクノロジーを専門とする次世代を担う人財の育成に注力していきたい。


著者紹介 早稲田大学理工学術院(教授)