生物工学会誌 第96巻 第2号
 辻 明彦

近年、大学からの校費は減少し、外部資金を獲得しないと十分な研究費を得ることはできなくなりました。申請書が採択されるためには、時代のトレンドに合致した研究、10年先の成果が見通せる研究、社会貢献、社会実装が期待される研究として上手にまとめる作文技術が必要で、社会ニーズに対応した最新技術を活用したスマートな研究計画、関連分野の実績が要求されます。私自身は酵素学が専門ですが、酵素の研究で外部資金を獲得しようとすれば、医学的な分野であれば、酵素の立体構造からの阻害剤の設計と創薬への応用、ノックアウトによる病因解析、生物工学的分野であれば、酵素の大量発現、機能改変、有用物質生産への応用に関する研究計画、そして実績が必要です。しかし、クローニングされたタンパク質が、すべて大量発現が可能ではなく、また大量発現しても、すべて結晶構造解析ができるわけでもありません。若い研究者の方は、高インパクトファクター(IF)の学術誌への論文発表や外部資金獲得状況で人事評価されるために、どうしても成果が確実に期待される研究に集中することになり、日本全体の研究の多様性が失われています。

私は長い間、ズブチリシンと相同性の高い哺乳類のズブチリシン様プロプロテインコンベルターゼの研究を20年ほど行っていました。生理活性ペプチドの前駆体の活性化を行うCa2+依存性セリンプロテアーゼですが、Furin、PC1/3、PC2、PACE4などが知られています。ただでさえ含量の少ない生理活性ペプチドの活性化を行う酵素なので、酵素の含量はさらに少なく、ウエスタンブロットで明快なバンドを出すことも非常に困難な酵素でした。siRNAを使った機能解析や転写調節に関する結果を加えて、なんとか論文を発表していましたが、費用対効果がきわめて悪い研究で、気づくと日本でこれらの酵素を研究しているのは私どものみという状況でした。定年まであと10年という時に、少しは生物工学で役に立ちたいと思い、このプロテアーゼからは撤退し、セルラーゼの研究へ移行しました。ところがこの間に海外では、特にがんとこのプロテアーゼとの関係が明らかになり、さらに近年では診断マーカーや創薬の研究が盛んになり、今では撤退したことを少し後悔しています。生物工学会大会でも酵素研究の発表件数は減少傾向ですが、生化学会や分子生物学会でも激減し、成果が出やすい酵素の研究に集中しています。このままでは、低含量で不安定な酵素を精製できる研究者がいなくなるのではと危惧しています。

大学院時代の恩師から、「泥の中からダイアモンドを探り出し、それを世界初の研究へ発展させなさい」という教えを叩き込まれました。その人しかやっていない研究を推進するには、大きな困難が伴います。しかし、大きな喜びもあります。私は学生時代には山岳部でしたので、研究を登山にたとえて考えますと、泥臭い研究とは初登頂をめざす登山であり、スマートな研究とは初登頂でなくてもより困難なバリエーションルートを登る登山なのではと思います。いくら航空写真があっても、初登頂の場合は、実際登ってみないとわからない地形が多くあり困難が伴うのに対し、バリエーションルートを登る場合は先行チームからのデータを利用できます。

1989年に米国ミシガン大学に留学していたころ、日本はバブル時代で、特にバイオの分野では大学にも多額の研究費が投入されていました。当時の米国の雑誌には、このままでは経済のみならずサイエンスでも米国は日本に追い抜かれると心配する記事もありましたが、逆に多様な基礎研究の分野では圧倒的に米国が優勢であり心配する必要はないという記事も多くあり、米国の優位性をあらためて実感した記憶があります。

研究資金や昇進のため、若い研究者が置かれた現在の状況が非常に厳しいことは十分に承知していますが、どうか初登頂を目指して、誰も手をつけていない領域に踏み出していただきたいと思います。科学や物理に比べれば、生物の領域は、まだまだ小さい研究室でも大発見できる未知の分野があると思います。また年長の研究者は、若い研究者の多様な研究を公平に多角的に評価し、支援するシステムの構築に努力しないといけないと思います。


著者紹介 徳島大学 生物資源産業学部 教授