生物工学会誌 第96巻 第9号
朴 龍洙

私は、二つの国で生物工学を学び、この分野の位置付けについて非常に悩んだ覚えがある。韓国で修士課程の時、米国MITから赴任されたDewey Y. Ryu教授の下で発酵工学を学んだ。1980年代の韓国では、この分野は最先端であり、新鮮さとおもしろさに魅了され、私は一生この分野に身を投じる決心をした。その後4年間、学んだことをもとに韓国最大の発酵企業で、核酸発酵、発酵工場の建設、試運転まで携わり、発酵工学の随を経験した。日本に渡り、東京大学応用微生物学研究所の戸田清先生と名古屋大学工学部の小林猛先生の両恩師の下で生物工学分野のイロハを学んだ。その後、静岡大学の岡部満康先生の研究室(当時の培養工学)に移り、より実践的な生物工学を学んだ。

学問として生物工学はどのようなものなのか。修士課程では発酵が至極の学問だと思ったが、その後、高密度細胞培養、遺伝子産物の効率的生産および放線菌による抗生物質の生産を研究課題にして取り組んでいるうちに、私は、生物工学は時の流れに密に関わりながら変化し続けるものだと理解するようになった。醸造学から始まった生物工学は、発酵工学、生物化学工学、生体情報工学、環境工学、酵素工学、動物細胞工学および生体医用工学分野に至る広範囲をカバーしている。

私は、この広範囲な分野でどのような研究をすればよいか相当悩んだ。しかし今振り返ってみると、対象は変わったが、自分が物質の生産性向上を常に追い求めてきたことに気がついた。細胞の密度を高めて培養する「高密度培養」のコンセプトで、遺伝子操作が可能で、かつ自由に飼育できる生物としてカイコに辿り着き、蚕糸学会の主役であるカイコを生物工学会に持ち込んだ。カイコは、溶存酸素もpHの制御も要らない、きわめて高い高密度培養が可能であり、スケールアップの心配も不要なため、生体バイオファクトリーに適していると確信している。発酵工学に魅了され、最後にはカイコバイオファクトリーをライフワークとして挑戦するとはまったく想像もしなかった。

時の中で生物工学の目指すものは何か。時代の変化に伴い姿は変わっていくものであるが、人類のために何をすべきかは不変の課題である。地球規模で進んでいる温暖化、そして、日本社会の異常なほど急速に進む高齢化・少子化は人類が経験したことのない最大の危機であり、知恵を絞って対応していかなければならない。私が所属している静岡大学では、このような問題の解決のためにグリーン科学技術研究所を2013年に設立し、あらゆる分野の研究者を集めて未来課題の解決に向けて研究を進めている。生物工学は、微生物、動物および植物を対象に、さらに物事をシステム的に考える工学的思考の上に成り立っているので、21世紀の諸問題の解決に貢献できる絶好の機会と考える。第5期科学技術基本計画(平成28~32年度)の経済・社会的な課題への対応として、

(1)持続的な成長と地域社会の自律的な発展、
(2)国民の安全・安心の確保と豊かで質の高い生活の実現、
(3)地球規模課題への対応と世界の発展への貢献、

があげられている。特に、(1)では資源の安定的な確保と循環的な利用、超高齢化・人口減少社会などに対応する持続可能な社会の実現、(2)では食品安全と生活環境安全の確保、(3)では地球規模の気候変動に対応した温室効果ガスの大幅削減などが、重要課題として設定されている。

このような課題は、まさに、生物工学者が大いに貢献できる分野である。このような地球規模の課題は、日本の国内学会だけでは解決が不可能である。そのためには、国際的な会合の場を増やし、高いポテンシャルを有する海外の学会と学会間のネットワークを構築することが求められている。国際共同研究プロジェクトへ参加すると同時に、優れた外国人研究者が本学会に入って活躍できるようになれば、本学会のポテンシャルをより一層強化することになる。これによって、国ごとの地域特性を活かし多様な視点や発想に基づく解決策を共有できる仕組みが本学会を中心にできあがるのではないだろうか。

学会として、21世紀の重要課題の解決に向けたロードマップを策定し、国の政策決定に提言できるように、また生物工学会は、これから学会を担っていく多くの若手研究者がこのような課題に果敢に挑戦していく場であることを願っている。


著者紹介 静岡大学グリーン科学技術研究所(教授)