Published by 学会事務局 on 25 7月 2012

【随縁随意】天からの贈り物 – 石川 陽一

生物工学会誌 第90巻 第7号
石川 陽一

2011年の日本生物工学会の招待講演「青色LEDの開発と省エネへの貢献」で中村修二先生は「開発に当たりアメリカから購入した装置では用が足りず、改良に改良を加えて精度を向上させて世界初の高性能の青色LEDを開発した。この装置は自分しか作れないから他の人は誰も青色LEDを作れなかった」とおっしゃっていました。装置を改良するたびに世界初のLEDの青色が近づいてくるのを実感して、装置の改良にわくわくしたことでしょう。中村先生は機械や電気に明るく、手先が器用で違和感なく装置に触れる人なのだろうと思います。生物や化学に携わる人は電気、機械は苦手の人が多く、たとえ得意でもさわれる環境ではないので、市販の装置を駆使して新規開発をしようとしますが、同じ装置を同じ目的で使っている人は沢山いるので、その中で画期的な開発をするのは容易ではありません。

私は石油関連の試験器を作っていた父の会社に入り、友人に基礎を教えてもらって酸素センサを商品化しました。販売しているうちに、発酵用酸素センサの開発依頼をいただき、用途も分からないまま世界で初めて繰り返し蒸気滅菌に耐える溶存酸素(DO)センサを作りました。杜氏のような職人芸で制御していた培養が、DOを指標に制御できるようになり、培養効率が飛躍的に向上してDOセンサは世界中で利用されました。ついでpH、溶存炭酸ガス、泡、排気酸素と炭酸ガス、アルコール、グルコースなどのセンサ開発のご依頼をいただき、センサを開発しているうちに、これらのセンサを組み込んだ世界初のコンピュータ付き小型培養装置の開発をご依頼いただきました。まだパソコンがなく、ROMもRAMも2キロバイトしかない時代だった上、技量不足だったので開発は難航しました。最後にはお客様の会議室を4ヶ月以上お借りして5、6人の合宿状態で開発に当たり、お客様の励ましや社外の多くの協力をいただいて何とか装置が完成しました。お客様はこの装置を大量に導入し、インターフェロンの研究開発期間を驚異的に短縮しました。今でも新規の仕事で時々数ヶ月の合宿状態で仕事をしますが、その都度社員が成長します。

これらのお客様からの開発依頼は今考えると天からの贈り物でした。少々漠然とした、時には無理と思われるご依頼を形にする過程で、動物細胞培養で泡を出さずに通気するチューブ通気方法、夜間に無菌で自動サンプリングする装置などいろいろな要素技術を開発して商品アイテムが増えたと共に、社員の成長というおまけが付きました。気がついたら本業は石油の試験器屋から培養装置屋に変わっていました。

バイオの表舞台で活躍するのは生物や化学の技術者です。しかし主役も舞台を作る裏方なしでは活躍できません。現状の装置の機能、精度、速度などに満足できないことが多いのではないのではないでしょうか。時には予算がなくてあきらめているかもしれません。そんなことで大事な開発が遅れては困ります。天からの贈り物を裏方に投げてみてください。

培養装置も10数年前からディスポーザブル化やハイスループット化が進み、医薬品製造装置としての信頼性や性能などの要求事項も多くなって、戦後40年間基本構成が変わらなかった培養装置が一変しそうな時代です。天からの贈り物がますます大事になりそうです。


著者紹介 エイブル株式会社・株式会社バイオット(代表取締役会長)

 

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Published by 学会事務局 on 26 6月 2012

【随縁随意】ものづくりに想うこと – 坂口 正明

生物工学会誌 第90巻 第6号
坂口 正明

入社以来、約30年以上にわたり、酒類、特に蒸留酒に関する「ものづくり」に携わってきたことから、個人的ながら「ものづくりに想うこと」を述べたいと思います。「ものづくり大国日本」という言葉がありますが、現在の日本の製造業の繁栄は、日本の伝統的な固有文化に源を発する精神性によって、付加価値の高い「芸術品」を創造し、それをお客様にお届けすることによってもたらされました。具体的には、安心・安全で、文化的な生活を提供するために、表面的な看板でなく、真にこだわりのある品質を造り出してきました。品質本位、美味、技能、品格(凛々しさ)、改善、理論、現場、楽しさなどを追求するこだわりの姿勢が、ものづくりを志す職人や巨匠を生み出してきたものと思います。

「ものづくり」のために、感性を磨く、できるだけ多くの体験をする、興味ある分野や異分野の人とコミュニケーションする機会を作る、理論と体験した技能を持つ、現場に行くなどによって、人は自己成長します。自己のレベルを上げない限り、よいものは造れません。また、品質に対しては、品格のある評価ができなければなりません。そのためには、文化的なこと、技術的なことの両面を研鑽していく必要があります。

プロフェッショナルな「ものづくり」には、それぞれの人によって流儀があります。私の流儀は、1)理論と実践、2)現場感覚、3)信頼関係、4)文武両道で、それぞれに対して想いを述べたいと思います。

「理論と実践」 ひたむきに実践を繰り返すことによって、新たな発見を生み出し、「ものづくりの力」が体に染み付きます。しかし、それだけでは骨太なものにはなりません。やはり、分析的、数学的なアプローチによる理論的、技術的な基盤と洞察的、実践的なアプローチが複雑に絡み合いながら形を作っていきます。

プロゴルファーにおいても、幼い時からボールを打ち続け、その繰り返しによって、相当な技能レベルに到達しますが、的確なゴルフ理論を学習していないとトップレベルでは戦えないと言います。酒類の世界においては、酒の官能品質と製造プロセスの因果関係を理解するには、相当な経験を積まなければなりません。分析値では表現できない品質を人の感性で評価して、方向性を決め、原料、仕込み、発酵、蒸留、熟成、ブレンドなどの製造プロセスの条件や設備の問題点を発見し、改善することが求められます。「理論と実践」が同時に進行し、必ず技術的な裏付けが反映されなければならないと思っています。

「現場感覚」 現地に行って調査をし、それから作戦を立てる。現場に足を運ばねば、決して問題点が見えない。本田宗一郎氏、松下幸之助氏らの著名な経営者はその実践者として語り継がれています。商品開発では、市場や消費者の変化をしっかりと見ないと先取りする商品を造ることはできません。お客様や社会に商品がどのような価値があるのか考えなければなりません。言うはやさしいが実践するのは、莫大なエネルギーが必要です。あえて、現場感覚と表現したのは、技術開発、商品開発において、常に現場の感覚を忘れない、現場での実施をイメージするという意味も含めております。

「信頼関係」 ものづくりは情熱、熱き執念と言うかもしれませんが、その底辺を支える信頼関係(絆と連携)が重要です。ものづくりの世界においても人間関係の中で実践していき、人に喜びを与える技術が人との信頼関係を築いていきます。信頼関係がないところからは、ものづくりのエネルギーは湧き出てこないと考えております。信頼関係ができることが、ものづくりのスタートであり、大きな成果にも結びつくことと思っています。

「文武両道」 技術者は、技術的なことばかりではなく、文化的なことに対しても研鑽を重ねなければなりません。剣の達人である宮本武蔵は、絵画・書道にも長けておりました。社会ニーズを満たす技術者は、「文武両道」の能力を持っていたいものです。コンサートホールや美術館で芸術を楽しんでいますか? なかなか心の余裕が持てないのではないでしょうか。各々のスタイルで心豊かな時間を過ごし、「人間力」を磨いていければ魅力的です。現場の設備を設計する時に心がけていることは、最高の品質を造るための機能的な美しさ、歴史的に淘汰されてきた外観的な美しさにも常に考慮しております。欧州の歴史のある蒸留所を視察すると美しい設備に触れることが多く、その文化的な成熟度に感動いたします。

以上が個人的な仕事の流儀ですが、まだまだ志半ばで、今後益々研鑽を重ねなければと思っております。


著者紹介 サントリー酒類株式会社、スピリッツ事業部商品開発研究部(スペシャリスト)

 

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Published by 学会事務局 on 25 5月 2012

【随縁随意】3.11からの再出発における科学の役目 – 林 清

 生物工学会誌 第90巻 第5号
林 清

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震・津波、それに加え原子力発電所事故の緊急対応では、世界のメディアが注目し、モラルある日本人、冷静な判断ができる日本人、協力し助け合う日本人に賞賛が送られた。しかし、1年が経過した現時点で振りかえって見ると、京都の五山送り火で「陸前高田の松」を使用することを巡っての騒動、福島県産農産物の風評被害、被災地の瓦礫処理の拒絶など、放射性物質に対しては過敏な対応あるいはヒステリックともいえる対応もあった。こうした対応においては、理を尽くして議論し適切な判断を下したというよりも、一部の強硬な意見に屈服したともいえる状況もあり、さまざまな問題が提起された。

原子力発電所の事故以前、私たちは放射能ゼロの世界で暮らしてきたわけではない。わが国において、自然界から被曝している放射線量は1.5 mSv/年であり、体重65 kgの日本人男性の体内には、炭素、カリウムなどの放射性物質が7900 Bq含まれている。世界平均はさらに高く2.4 mSv/年である。こうした事実があるにもかかわらず、食品には極めて高い関心がよせられている。

食品安全委員会において、放射性物質の専門家等を含めた「放射性物質に関する食品健康影響評価のワーキンググループ」を設け審議した結果、「放射線による健康への影響が見いだされるのは、現在の科学的知見では、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における追加の累積線量として、おおよそ100 mSv以上と判断される」とした食品健康影響評価書を2011年10月にとりまとめ、厚生労働省へ通知した。それを受け、厚生労働省では今年の4月から暫定規制値よりも約5倍厳しい新基準で運用しているが、これは国際的に見ても厳しすぎるとも言われている。企業や自治体ではさらに厳しい独自の基準を設定しているところも少なくない。消費者の信頼を得ようとする努力は理解できるが、消費者が一層混乱するばかりか、無意識のうちに放射能被害をうけた産地の排除につながっていることが懸念される。

一方、日本生活協同組合連合会では、家庭での2日分の食事(6食分と間食)をすべて混合したものを1サンプルとし、一般家庭の日々の食事に含まれる放射性物質の量を測定した。被災地を含む18都県の237件(福島は96件)を対象に、検出限界1 Bq/kgで測定したところ、全体の95%からはセシウムが検出されなかった。放射性セシウムが検出された11家庭のサンプルと同じ食事を1年間継続して食べたと仮定した場合でも、食事からの内部被ばく線量は、0.019 mSv~ 0.136 mSvと推定している。

厚生労働省食品安全部基準審査課で作成した資料においても、2011年9月と11月に東京、宮城県、福島県で流通している食品を調査した結果、年間の被ばく線量は0.002~ 0.019 mSv/年と極めて低い。食品に含まれる天然放射性核種であるカリウムによる被ばく線量は0.2 mSv/年であり、セシウムによる被ばくは極めて低いと判断できる。セシウム137は半減期が30.1年と長いことから,10分の1に減少するには100年という長期間を要する。

これからは、長期にわたる低線量被曝との共存社会を目指す必要がある。基準値以下ならば安全であるのは当然であるが、放射能汚染をどの程度まで受け容れるかに関しては、価値判断が多様化している現代社会においては各個人で判断したいと考える者も少なからずいる。放射線に関する科学的な理解のもと、相互に歩み寄りながら妥協点を見いだす必要がある。単に生産性や合理性だけでは判断できないケースもあろう。必要なコストを念頭に入れながら、汚染実態に応じた、地域社会の維持存続をも考慮したきめ細かい対応が必要であろう。自発的なもの、知覚できる場合には不安感は縮小し、身近で起きたり、強要されたもの、人為的原因の場合には不安感が増大する。

生産者、流通・小売業者、消費者などの食の生産・流通・消費にかかわるすべての関係者が、放射性物質の食品影響、健康影響に関して適切な判断ができるよう、正しい科学的知識とバランスのとれた情報を共有することが望まれる。「不安の声」「抗議の声」に耳を傾け、科学的な情報の基で議論を尽くし、コストを意識した適切な判断を下す必要がある。原子力発電所の事故以前は「何も気にすることなく食品を購入し、消費してきた」が、こうしたあたりまえの状況にいち早く戻れるよう、大学、研究機関の関係者が結集し、タイムリーで分かりやすい科学情報を発信する責務がある。「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」。明治時代の物理学者、寺田寅彦が残したこの言葉の意味を、いま一度じっくりと噛みしめるべき時ではないか。


著者紹介 (独)農業・食品産業技術総合研究機構(理事)、食品総合研究所(所長)

 

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Published by 学会事務局 on 25 4月 2012

【随縁随意】イノベーションの起こし方 – 松永 是

生物工学会誌 第90巻 第4号
松永 是

米国アップルの創業者の一人であるスティーブ・ジョブズ氏が56歳の生涯を終えた。数々の製品と名言を残し、世界中の人々を魅了したイノベーターは、今なお、我々の生活に密接に関わっている。アップルと言えば、iMac、iPod、iPhone、iPadと新しいツールをいち早くユーザに提供し続けてきた企業である。

iPhoneを解体すれば数多くの日本製の部品を目にすることができるが、皮肉にも個々の部品よりiPhoneと呼ばれるプラットフォームを作り上げたアップルが多大な利益を得ているのが現状である。では、我が国でこのような“イノベーティブなプラットフォーム”を築きあげていくにはと考えると少し戸惑ってしまう。

2011年8月に閣議決定された第4期科学技術基本計画における新成長戦略の柱として、グリーンイノベーションとライフイノベーションの推進が掲げられた。その実現は技術立国日本の将来を左右する重要課題といえよう。まさに今、“イノベーティブなプラットフォーム”作りが求められているのである。イノベーション推進が求められる領域は、環境問題、資源・エネルギー問題、人口・食糧問題などの人類の存続を脅かす課題解決に取り組むあらゆる分野であり、生物工学分野ももちろん例外ではない。グリーンイノベーションの中心テーマの一つである安定なエネルギー供給や省エネルギーを例にとっても、バイオマス利用、バイオ燃料生産、バイオプロセス、システム工学など生物工学が中心的な役割を担う部分は大きい。

生物工学分野では、食品工業などに向けた有用物質生産に始まり、プロセス工学や生物情報工学、さらには環境工学、バイオセンサ開発、医療システム開発と学際領域における新しい学問分野を切り開き、世界最高水準の研究開発を行なってきた。ただ、先述のプラットフォーム作りに当てはめてみると些か不安や焦りを感じる部分もある。それぞれの先鋭化された研究・開発の成果が、どこかのプラットフォームの1部品に収まってしまう可能性がある。

グローバルな競争の激化やニーズの変化に対応するために今まで以上に速いスピードでイノベーションを実現することも求められている。このような背景から、企業、大学、研究機関、自治体といった組織の枠組みを越え、広く知識・技術の結集を図り効率的なイノベーションを目指す、いわゆる「オープン・イノベーション」が世界の潮流となっている。オープン・イノベーションは、自社で研究開発プロセス全体を抱え込むことができなくなっている現状を打破する最善の方法と考えられる。その実現には、学術成果の蓄積や見識の深化に加えて、政策を主体とした企業、自治体、大学などの包括的な連携によるグローバルなプラットフォーム設計が必要である。政治主導のもと新成長戦略が掲げられた今、残された課題は具体的なプラットフォーム設計のための作業環境作りであろう。競合する複数他社との有機的な連携は、我が国がもっとも不得手としてきたところかもしれない。そこで、公益組織である学会や大学は、プラットフォームの設計や協議のためにさまざまな組織が参集できる場や環境を積極的に提供し、出来上がった設計図を社会に向けて提言していくべきではないか。

「Stay Hungry. Stay Foolish.」ジョブズ氏の講演の中にある言葉だ。我々は、今、真価を問われているのかもしれない。


著者紹介 東京農工大学学長

 

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Published by 学会事務局 on 26 3月 2012

【随縁随意】分野融合の難しさと易しさ – 湯元  昇

生物工学会誌 第90巻 第3号
湯元 昇

日本生物工学会においても生体医用工学は大きな領域となっているが、21世紀型社会の大きな特徴である高齢化社会において、今後、ますます深刻となる医療、介護の問題について、医学と工学の連携(医工連携)が必須となっていることは言うまでもない。昨年8月に閣議決定された第4期科学技術基本計画において、ライフイノベーションを強力に推進することにより、医療・介護・健康サービスなどの産業を創成することが重要課題となっているように、医工連携は単に医療に技術革新をもたらすだけでなく、新しい産業分野を切り開くことが期待されている。そのため、自治体などでも医工連携によるさまざまなプロジェクトが進行中であるが、必ずしもスムーズに進んでいない。その大きな原因は、図に示すように、医療と産業の間に大きなギャップが存在するからである。

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図 医療と産業のギャップ

このようなギャップは分野融合の場面では必ず存在するが、医工連携ではギャップが大きく、それを埋めるためには、省力化・低コスト化、知財、人材育成、標準化、DB化、機構解明などの戦略を総合的に展開することが必要となる。

たとえば産総研では、産総研関西センターにヒト細胞の培養施設(セルプロセッシングセンター)を設置し、病院で採取された骨髄を培養して、セラミックなどの人工関節上で骨になる細胞を誘導するなどして、それを病院に戻して移植する再生医療をすでに100例近く行っている。この過程では、細胞の培養液交換、培養状況のチェックなど多くの人手が必要であるが、産業化のためには、省力化・低コスト化することが必須となる。産総研では、いくつかの企業と共同研究を行い、この点を自動化・機械化などで克服しようとしている。

また、培養表皮で実用化されているように、細胞・組織デバイスなども製品として販売され、病院で使うというような時代となってきているが、医工連携の成果の実用化のためには、規格・標準化する必要があることは言うまでもない。

さらに、医工連携のような分野融合的領域で活躍できる人材は大きく不足している。分野融合では最先端どうしの高度な結びつきが必要な場合もあるが、一つの分野で陳腐な技術が他分野では画期的技術となることがある。例として産総研ナノシステム研究部門の田中丈士グループ長の単層カーボンナノチューブ(SWCNT)の分離を紹介したい。SWCNTには炭素原子配列によって、金属的な性質のものと半導体的な性質のものが存在するが、合成されたものには両者が混在するため、その分離はナノテクノロジー分野では大きな課題となっていた。田中らは、生物工学分野ではルーチンな技術であるアガロースゲル電気泳動で分離できることを示し、最近、セファクリルのカラムで単一構造の半導体型SWCNTを簡単に分離・回収できる技術を開発した(Nat. Commun., 2, 309 (2011))。

田中は今中忠行教授のもと超好熱菌のキチナーゼなどを研究する生物工学分野で博士号を取得したが、ナノテクノロジーと生物工学の融合分野に挑戦したいということで産総研に入所した。そのバックグランドが見事に活かされた結果からは、一見すると易しい分野融合のように見えるが、まさに、今中先生が本誌89巻8号の巻頭言に書かれているようなHazardous Journeyであった。筆者は、科学技術振興調整費でナノバイオ分野の人材育成を行うプロジェクトのリーダーを務めたが、融合分野で成功するためには幅広い知識の獲得への意欲とともに、簡単にはあきらめない強い精神力が必須である。しかし分野融合では、結果から見れば易しい場合も多いので、一つの分野で一定の成果をあげた若い研究者が、どんどん他分野との融合分野に挑戦していって欲しいと思っている。


著者紹介 産業技術総合研究所・理事(ライフサイエンス分野研究統括)

 

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Published by 学会事務局 on 25 2月 2012

【随縁随意】研究者の楽しみ – 木村 光

 生物工学会誌 第90巻 第2号
木村 光

アメリカでは研究者と教育者を峻別し、教育者には免税などの措置があるが、研究者には、そんな特典はないという。自らの趣味に生きているからだと聞いた。

筆者は、「自然界にはペニシリンのような素晴らしい抗生物質が存在するに違いない」という命題のもとに研究生活を始めた。一体、科学というものは、ニュートンの万有引力以来、予測を立てて、それを証明することに意味があるとえられたが、(微)生物学は「やってみなければ分からない」という典型だった。

ただし、遺伝子の構造が決定されるようになり、生物学も予測科学に仲間入りした。時計仕掛けの天体の運行は、「ラプラスの魔」を生み出したが、生物学や食品の安全性は、決定論的自然観の不得意な問題であることが分かった。我々はむしろ、ボルツマン的確率論を適用して、実験回数や試料数を増やすべきことに気がついた。これによって、微生物学と医学(ヒトの研究)の違いもはっきり認識できるようになった。研究者は、パラダイム変換を認識することが重要で、最近では、スパコンを利用した複雑系による「人工生命」の研究も活発になりつつあるので、従来の生命観だけでは思わぬところから虚を衝かれる可能性がある。

科学は人間の概念枠によって作られてきたもので、事実を離れて成立するといわれる。私どもは、地動説が正しくて、天動説は誤りだと信じてきたが、どちらも同じ、天体の観測データを根拠にしたもので、その違いは、「概念枠」(パラダイム)の違いで、データを処理していることである。識者は「理論なしの実験は単なる手順通りの退屈な習慣に過ぎない」といっている。抗生物質研究から逃げ出して、脂質や膜の問題を手がけたが、これらは生命の本質と直接関係が少ないので止めた。その頃、遺伝子操作技術が開発されたので、これこそ今後の科学技術と考え、アメリカの学会に参加(1978)、日本で初めての国際微生物遺伝学会を京都で開催した(1982)。

新しい技術が開発された時は、その為に研究課題を考えるのではなく、自分の研究にその技術を如何に取り込むかを考えることが肝要である。パスツールは言った。「基礎研究も応用研究もない。あるのは良い研究とその応用である」。筆者らは、食品工業の核酸副産物(CMP、UMP)を有用物質に微生物転換する研究から、酵母の遺伝子研究に入った。始めは、マイヤーホッフの乾燥酵母を用いていたが、DNA合成がほとんどないので、生きているとはいえず、「酵素の袋」では、将来、代謝や制御の研究が出来ないと考えてこれを捨てた。生きた酵母で、核酸関連物質を取り込み物質変換できるシステムを構築した。これがその後「酵母の形質転換法」の開発につながった。

ガルフィールドによると、「発表される科学論文の90%は、被引用回数が10回以下で、2- 3年で消えていく。残りの10%が生き残り、関連領域の研究者に引用されるが、それでも、100回になるものは稀(1%)である」。筆者らが、1982年に京都の国際学会で発表した「酵母の形質転換法」は、その後、約30年間にわたって引用され続け、2011年9月9日に、6,501回になった。トムソンロイター社の「研究者インタビュー」を受けウェブサイトに掲載された。生きている間に何回まで行くか、何処まで生きていられるのか楽しみである。

残りの人生をどう楽しむか最後の最大の関心事である。30年ほど続けてきた国際ジャーナル(AppliedMicrobiology and Biotechnology)の編集はもうしばらく続けたい。これは世界の研究者との接点だからである。ドイツの本部との時間差が効いて、夜発信の返事が朝に来る。若い時に手掛けた「ゴルフ、囲碁、謡曲、書と俳句の鑑賞」などの他、以前買い込んだ本の整理と拾い読み、庭の手入れなども捨てがたい。本稿作成中に叙勲の知らせがあり、皇居へ参上した。

最後に二句。哲学も科学も寒き嚏(くさめ)かな(寅彦)、学問は尻からぬける蛍かな(蕪村)


著者紹介 京都大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 25 1月 2012

【随縁随意】年頭所感 – 学会創立90周年を迎えて- 原島俊

生物工学会誌 第90巻 第1号
会長 原島 俊

会長を拝命して半年が経過致しました。昨年は、あの3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島原子力発電所の事故が、日本のみならず世界を震撼させました。今も、東北の皆様は復旧・復興に大変な努力をされており、たとえ復興がなされたとしても、多くの亡くなられた方とご遺族の方々の御心情をお察しすると、新年ではありますが、とても明けましておめでとうと申し上げることはできません。ただ、会員の皆様におかれましては、ご無事で、少しでも心穏やかな新年であることを願っています。

さて、本学会は、昨年「公益社団法人」に認定され、これまで以上に社会への貢献が期待される学会として新しく出発致しました。そして、本年は、折しも学会創立90周年という節目の年であります。会長就任にあたり、「学から産へ」「日本から世界へ」「シニアから若手へ」という3つの目標を掲げ、この目標のもと、90周年記念事業準備委員会を設置して以来、会員の皆様方には、記念事業や醵金のことなど多大なご支援を頂いており、改めて厚く御礼を申し上げる次第です。

すでにご案内の通り、記念式典、記念出版、アジアの若手育成のための記念基金、地域との連携、国際シンポジウムなどの多彩な計画が進行中です。また、本年10月には記念大会を開催致しますが、上記の3つの学会運営目標に加え、「頑張ろうニッポン」とのコンセプトを掲げ、大阪大学教授大竹久夫実行委員長、田谷正仁、福崎英一郎のお二人の副委員長を中心に、産学官、国内外、世代を超えて記憶に残る記念大会とすべく準備が進んでいます。

振り返ってみますと、本学会は、この90年間、産業系学会として多彩な役割を果たしてきました。たとえば、その時代時代において、最新の生物工学の学問や技術を発信する場として新しい流れを創造・醸成する場となってきたこと、優れた学問や技術を創造した我が国の研究者のみならず、アジアの若い研究者、技術者を顕彰することによって、アジアの生物工学の発展にも貢献してきたことなど枚挙に暇がありません。

今後も、こうした役割を果たしていくことに変わりはありませんが、公益社団法人として、社会の要望に謙虚に耳を傾け、これまで以上に社会に貢献するとの自覚を持って学会活動を展開しなければと思っています。こうした社会への貢献に関連して、昨年11月17日に、今回の東日本大震災で大きな被害を受けた福島県西郷村(にしごうむら)で、「放射性物質と環境問題」をテーマとした生物工学シンポジウムを開催致しました。この内容については、紙面の都合上詳しく述べることはできませんが、約300名の村民の方々が参加をして下さり、その熱心さに驚きと非常な感銘を受けました。このたびの大震災と原発の事故は、研究者にとって、「学問と社会」との関わりについて今まで以上に深く考えさせられる大きな出来事でありました。これまで、自然科学にかかわる研究者は、ややもすれば、自然現象のメカニズムを解明することを最重要視してきたように思います。論文を出しやすいなど、評価のシステムも含め、いくつかの理由がそうせざるを得ない状況を作り出してきたためとは思いますが、西郷村シンポジウムで村民の皆さんと議論をして、科学や技術を基盤にした復旧・復興のシナリオをデザインできる新しいタイプの若い人材の育成が必要なのではないかと強く感じました。そして、産業系学会である本学会は、大学や国の研究機関あるいは理学系学会とは違う観点から、社会が直面する困難な課題に、バイオを利用して果敢に挑戦する若い研究者や技術者を支援する具体的な方策を考えなければと思った次第です。

学会創立90周年という特別な年を迎え、バイオテクノジーにより社会に益々貢献するために、会員の皆様の本学会への一層のご支援を御願いし、年頭のご挨拶とさせていただきます。

 

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Published by 学会事務局 on 22 12月 2011

【随縁随意】バイオマス利用研究のすゝめ – 鮫島 正浩

生物工学会誌 第89巻 第12号
鮫島 正浩

木材の利用方法を研究することがそもそもの私の専門分野である。ただ、木材を構成する主要成分がセルロースやヘミセルロースという多糖成分であるということから、最近では、木材をセルロース系バイオマスの中で位置づけることも多くなってきた。このような分野の中で、私は木材を完全分解することができる担子菌類によるセルロース系バイオマスを構成する化学成分の分解機構ならびに関連する酵素の研究に携わってきたが、これらを取り巻く社会環境は今世紀に入ってから大きく変化した。その理由は、セルロース系バイオマスが地球温暖化防止対策としての二酸化炭素排出削減やエネルギー資源セキュリティの問題解決に寄与し、化石資源を代替する持続性資源として大きな注目を集めるようになったからである。また、その動きの中で、国策としてセルロース系バイオマスからのバイオエタノール生産技術の開発が求められるようになり、私もそのことに関連する仕事に関与することになった。

バイオエタノール事業の展開については、さまざまな立場から、その是非が議論されている。しかしながら、輸送用燃料の資源セキュリティならびにバイオマス変換利用に対する技術力確保の観点から少なくとも研究開発は推進すべきであると、私は思っている。そのようなことを考えている中で、本年3月に発生した東日本大震災とそれに引き続く福島第一原子力発電所での事故により、バイオマス利用の位置づけも大きく変わってしまった。

原発事故以前は、バイオマスと原子力は脱化石資源化ならびに二酸化炭素排出削減に向けたよきパートナーになると思われていた。すなわち、前者はマテリアルやバイオエタノールなどのバイオ液体燃料として利用することができる有機資源として、また後者は電力とそれに基づく熱エネルギーを供給する資源として、お互いに補完的な役割を果たしていくべき存在であった。実際、我が国における二酸化炭素排出削減のシナリオも、このような考え方の中で組まれていた。

しかしながら、原子力が賄ってきた膨大な電力を背景としたパートナーシップの構想をもはや描くことはできない。そのような中、本年の8月、電力事業に対する再生可能エネルギーの固定価格買取制度に関する法案が国会で成立し、来年7月から施行されることとなった。発電用エネルギーとして太陽光や風力などがその対象として大きく捉えられているが、バイオマスについても対象となっている。しかしながら、前二者と後者の間には大きな違いが存在する。すなわち、前二者はそもそも発電用エネルギーとして開発されたものであるが、バイオマスは多目的な利用が可能な有機資源であるという点である。バイオマスについては、発電用エネルギー資源としての利用だけに偏らない統合的な利用が望まれる。また、バイオマスの利活用においては、その生産ならびに変換利用プロセスの中で生物工学分野の研究成果を活かせる場が多い。

このようなことから、脱化石資源に加えて脱原子力を掲げなければならない今日こそ、バイオマス利活用推進のために生物工学が大いに力を発揮すべき時である。また、このことを生物工学に携わる多くの若い人たちに認識していただきたい。しかし、一方で研究成果の活用をあまり急ぎ過ぎてはならず、確かな技術の礎となる学問としての掘り下げと、他分野との連携に基づくバランスの取れた総合学としての展開を念頭に置かなければならない。そして、もっとも大事なことは、これらを長く継続していくことである。福沢諭吉の「学問のすゝめ」の中に、「一身独立して一国独立する」という言葉がある。この言葉の意味を考えつつ、新たなパラダイムに立脚した持続性社会の形成を見据えた「バイオマス利用研究のすゝめ」を提案したい。


著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 11月 2011

【随縁随意】心の師となるも心を師とするなかれ – 神尾 好是

生物工学会誌 第89巻 第11号
神尾 好是

「相構え相構えて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり」。仏経典に記された一句である。岩手、宮城、福島3県の海岸沿いの住民は、2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災時の巨大津波による未曾有の大災害に見舞われた。行方不明者を含めて19,719名(10月12日現在:警察庁)もの尊い命が一瞬のうちに奪われた。

私の親友である佐藤鶴治さんは津波で流されていく被災者の救助ため津波に飛び込み命を失った。大震災から1ヶ月経過した頃であったろうか、捜索自衛隊員の一人が海水を被った瓦礫の中から黄色いランドセルを背負った小学校低学年の少女の亡骸を発見し、抱きしめたまま放すことがなかったとの新聞記事を見て、ただただ涙した。

私は、東北学院大学工学部多賀城キャンパスでの生物学の講義を行うたびに、必ず津波被災現場を通るが、今なお手つかずの瓦礫の山の傍を通るたびにただただ首を垂れる。命を奪われた方々のこと、家屋を奪われた被災者のこと、原発で自宅を離れ避難生活を余儀なくされている方々のことを幾度となく想うにつけ、軽度な被災の私は、亡くなられた方々に深甚なる哀悼の念を捧げるとともに、生かされたことへの感謝の気持を持ち、頑張らねばと思う。

今回の数十メートルもの巨大津波と同等の津波が、東北地方に1000年前にも奇襲していたことが、本震災以前からのデータで明らかにされていた。しかし科学者は、「1000年間も襲来していないのだから今すぐには来ないだろう」との予測から、1960年三陸海岸を襲った6メートルのチリ地震津波を想定して防波堤を築き、避難マップを作成した。これはまさに、規範となるデータを心の師とせず、心を師とした余りにも大きな誤りであった、と言えよう。

今震災による福島第一原子力発電所事故による多量の放射性物質の流出による広範囲な環境への放射能汚染が起きた。心(現時点ではこれくらいの設計でよかろうと云う妥協心)を師とした科学技術への不信感が一気に噴き出した。風評被害もそうである。一部ではあろうが、データを信用するどころか、どこからともなく広まる風評が、東北地方の家畜、水産物、穀類、野菜、果物などの生産者を苦しめている。政治家の「心を師とした」不適切な言動も目立つ。非常に悲しく、また恥ずかしい。対岸の火事と高をくくるのが世の常だが、国を揺るがした災害に真摯に向き合って欲しい。

大震災直後から、「想定外」という言葉が飛び交った。私ども実験科学者はこれまで発見された事実を規範にして、予想を立て実験で証明する。想定外の結果は大発見につながる。しかし、科学者は心を師とした想定を決してやってはならない。

最近、全国の大学工学部で学科を問わず、生物学が履修科目として本格的に取り入れられるようになったが、約9割の履修生(私の授業担当学生数は190名)は全く高校で生物を履修してこない。理由を聞いたら、「中学生時代に、分類とか聞いたこともない生物名がやたら出てきて何も分からない」とのことであった。

中学理科、高校の生物学の教科書は近代生物学を取り入れた充実したものになっている様に見えるが、全体を通して「生物学という学問」としての生物学であり、内容も高等生物が主体で、私たちの暮らしに密接に係わっている微生物の世界に関する記述がほぼ皆無に近い。実学、所謂「生物を利用して産業を興す」という身近な生物学はまったく感じられない。これは教科書の編集委員の片寄りから生じているのではと感じた。言い過ぎかもしれないが、これも心を師とした教科書作りではないだろうか。

私は、「私たちの暮らしと微生物」から授業を始めているが、学生たちの驚きの目での受講態度はいつも印象深い。私は、学生がアンケートに「生物学はとても面白く、もう少し早くから興味を持てばよかった」と書いてくれるのが嬉しい。最近若い大学教員から、「会議や大学院生の実験指導で多忙のため、自分自身で実験する時間がない」ということをよく耳にするが、極論を申し上げると、院生には手とり足とりの実験指導はいらない。院生は実験操作の試行錯誤を繰り返して必ず実験科学の真髄を会得する。この期間が一人前の実験科学者に成長するためにとても重要であると思う。さらに院生は、若手教員がたぎる情熱を燃やし寸暇を惜しんで実験をして論文を仕上げる姿を目の当たりにした時、彼らを心の師として成長していくのではなかろうか。情熱を失う時に青春は終わる。


著者紹介 東北大学名誉教授、山形大学大学院理工学研究科特任教授

 

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Published by 学会事務局 on 25 10月 2011

【随縁随意】秋入学に想う – 棟方 正信

生物工学会誌 第89巻 第10号
棟方 正信

「秋入学、東大が移行検討」という記事が目についた。文部科学省が「原則4月入学」を各大学の裁量にまかせるとしたのは確か2008年だったと思う。すでにいくつかの大学で秋入学は実施されているのにこの騒ぎが起きたのは、東京大学が本格的に検討し始めたことによって、高卒から大学入学までの半年間の空白、卒業後就職までのギャップイヤーといった以前から問題視されていた弊害が全国規模になる可能性があるからだと思う。私も欧米大学院の9月入学でかつて悩んだことを思いだした。

6年前「魅力ある大学院教育イニシアティブ」に「π型フロントランナー博士育成プログラム」が採択され、実行した時のことである。企業の研究所に25年間居た時、研究者の採用に関り、すべてとは言わないが、大学院での実験技術・スキルを買うという観点からの採用はあまり重要ではなく、上から与えられた研究開発テーマでも「研究開発する喜び」を見いだし問題を見つけ、調べ企画実行する能力が欠如した者は役に立たないということが判った。また即、研究チームリーダーになれる年齢の博士後期課程修了者のなかには、リーダーシップが欠如、あるいは専門以外には興味を示さない者も少なからずいた。異業種の開発でしかも後発のため、売り手市場だった遺伝子組換えや動物細胞培養の大学院修了者を求めた時期だったのでやむを得ない面もあった。

その後、異業種開発部門はリストラの対象となり、私は実学重視の工学系の大学・大学院で16年間、生物工学関係の研究・教育をする立場となった。欧米並みに企業で活躍できる人材を育成したいと思い、卒論、修論のテーマを選択させる際には「よく遊び(探し回り)よく学べ」と「好きこそ物の上手なれ」をキーワードに、苦しい時もあるが、教科書にないサプライズに巡り会う喜び、すなわち「研究開発の喜び」を得る事ができるようにと指導し、少なくとも自己学習能力は身につけて育っていってくれた。教育担当副研究科長の時、博士後期課程進学率向上に取り組んだが、なかなか進まなかった。個々の教員の努力では、博士後期課程進学者を増やし、しかも就職口の広い企業研究に目を向けさせるのは難しいと考えていた時、「魅力ある大学院教育イニシアティブ」の公募があり、スクーリングと経済的支援欠如の弊害を除くチャンスと考えた。

ダブルメジャーからなるπ型教育システム、経済支援(リサーチアシスタント制度活用の授業料全額相当分の賃金:全国に波及)、研究費助成(審査有り)、研究チームメンバーへの支援(リーダーシップ育成目的:博士後期課程学生が前期課程学生をメンバーとしてプロジェクト研究する場合、前期課程学生への経済的支援)、短期海外大学留学を含むインターンシップ制度、などを2年間行い、一部は制度化した。経済的支援の効果はあったが、問題も残った。

一つは研究リーダーシップ育成目的の「研究チーム」申請が少なかったことである。学位論文は「個人の研究」という教授の考えが多かったためと思う。次に問題だったのは、海外インターンシップである。単位互換制度がなく、しかも秋入学なので、半年~1年間の留年をせざるを得ないという弊害があった。この弊害は企業よりも大学院の方が大きかった。工学系では大学より大学院留学が出入りともに多いのが現状で、メインの大学院入学を9月にすることのほうが、大学秋入学より社会への弊害も少なく有意義と考えられた。

自己学習能力を有した研究者を育てるには経済的支援だけではだめで、自分の性に合った、指導を受けたいと思う指導者に巡り会い「研究開発の喜び」を得ることが重要だと思う。工学系では本格的な研究教育を受けられるのは大学院なので、大学院入学前に自分にあった研究テーマ、指導者を探すチャンスが重要となる。大卒から大学院入学までの空白の5ヶ月間を自分の将来探しの旅にでるのも良いのではないかと思った(修了後の4月就職までのギャップは、努力し短縮修了すれば回避可能)。大学機関別認証評価がすすみ、Bologna Process に参加し、単位互換制度がグローバルとなり、大学院入学がグローバルスタンダードの9月になることは、若手研究開発者育成に大事ではないかと今でも想っている。


著者紹介 北海道大学名誉教授、井原水産(株)顧問

 

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Published by 学会事務局 on 22 9月 2011

【随縁随意】生物の多様性と若者への期待 – 大宮 邦雄

生物工学会誌 第89巻 第9号
大宮 邦雄

2010年10月に名古屋の国際会議場で「生物多様性条約第10回締約国会議COP10」が開かれた。会場の周辺では、世界の各地から集まった参加者が行き交い、ヒトにもかくも多様性があるものだと改めて認識した。ヒトは生活環境に合わせて進化するとともに、自然環境も変えてきた。会議場わきを流れる堀川は名古屋城築城の資材の運搬のためにヒトが作ったものであるが、今ではヒトの生活を水面に映し、ヒトに癒しとゆとりを与えている。

この会議では、資源保有国(提供国)と資源利用国との間で、活用資源から生まれる利益の配分で激しい駆け引きが行われたすえ、土壇場でのギリギリの妥協で「名古屋議定書」が採択された。これに加え、生き物の絶滅に歯止めをかける「愛知ターゲット(目標)」も採択され、いよいよ生物多様性の保全と「山川里海」、すなわち海と水の流域である山、川、里に育まれる「ヒトと生き物」が、その繋がりの中でいかに共存共栄をはかるかがヒトに課せられた大きな課題となっている。

現在活動の主軸であるヒトは次の世代のヒトや生き物にどのような自然を残せるのか? この問題は我々がどのような行動を、先のCOP10の合意に基づいて実行に移していくかにかかっている。資源保有国から提供された多様な生き物のなかから、能力の高いものを選抜し、変異技術でさらに生産能力を高めるなどの利用に関するノウハウは、利用国である我々が長年にわたって蓄積してきたものである。

このノウハウをさらに生かすには、生物と工学の両分野に蘊蓄のある若者に期待するところが大きい。生物の利用に関する伝統的知識をフルに活用し工学的取り扱いをして初めて、生物の能力を生かした産業が生まれ、ヒトの働く場所ができ、製品がヒトに購入されて初めて、利益が発生する。わかりきったことではあるが、この一連のプロセスには生物工学的分野に習熟した多くの若者の力が必要である。資源保有国の豊かな自然環境と豊かな資源に囲まれて生まれ育っている若者にも、資源生物から利益を生み出すノウハウを習熟してもらうために、生物工学会は会員をあげて、学会設立以来今日まで多大の努力を払ってきているし、今後も引き続き尽力されると信じている。

私も数年前にJICAのプロジェクトでハノイの食品工業研究所(FIRI)に2ヶ月滞在する機会を得たことがある(2005年末)。自己紹介を兼ねたプレゼンをするために入ったセミナー室は、それより数年前に、大阪大学国際交流センターの皆さんに連れられてベトナム研究者との交流をした時と同じ部屋であることを思い出した。そのときには初顔合わせのヒトばかりであったが、今回は三重大学で学位を取られた女性が主任研究員として、私のセミナーに参加いただいているのを発見した。博士論文審査のときに垣間見た彼女の初々しさに加え、若手研究者を指導しておられる自信と貫禄が滲み出ていた。現在ではさらに重鎮になっておられるはずである。

ハノイの町中では、漢字で書かれた看板が随所で見られ心安まった。孔子廟に見られる儒教精神のせいか、FIRIからホテルに帰る満員バスでは、私が乗り込むたびに即座に若者が席を譲ってくれるのには感激した。名古屋の地下鉄では、ゲームに夢中になって私の白髪に気づいてくれない若者もいるが、最近ではそれとなく席を譲ってくれる若者の好意に出会う機会も多くなった。多様な若者への期待が年を追うごとに膨らんでくる昨今である。

蛇足ではあるが、私の家の隣に雲閑寺という古い大寺がある。2011年3月まで檀家総代を勤めていた関係で、5月末には親鸞上人の750回忌のご遠忌にも参加し、京都の東本願寺に参詣した。そんなこんなでお寺の行事にも参加する機会ができ、「門前の小僧経を読む?……」うちに、心打たれる一文を見つけた。

「能発一念喜愛心、不断煩悩得涅槃」である。蛇足にさらに足を書くようなものであるが、この経文の意味は「南無阿弥陀仏のお念仏を一心に唱え、いたわりと感謝の気持ち(喜愛心)を忘れなければ、日々湧き上がってくる欲望(煩悩)を無理に押さえなくてもやすらぎの境地(涅槃=悟り)に達することができる」と勝手に解釈している。他の生物の生命をもらって生きているヒトは他の生き物への「思いやり」と「感謝」の念を忘れないようにすれば、生物の多様性を保全し絶滅危惧種を減らすことができると信じている。これができる若者への期待に胸膨らませて、日々を大切に送っている。


著者紹介 
元三重大学生物資源学部(教授)、名古屋産業科学技術研究所研究部(上席研究員)
NPO東海地域生物系先端技術研究会(アドバイザー)

 

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Published by 学会事務局 on 25 8月 2011

【随縁随意】若者よ、Hazardous Journeyを目指せ!- 今中 忠行

生物工学会誌 第89巻 第8号
今中 忠行

昔から「かわいい子には旅をさせよ」という言葉があります。「ライオンは子供を千仞の谷に突き落とす」とも言われます。いずれも子供をぬくぬくと甘やかせて育てるのは良くないということでしょう。最近、草食系男子という言葉も耳にします。大学でも海外留学を希望する人が減少していますし、企業でも海外赴任を嫌がる人が増えていると聞いています。

2010年のノーベル化学賞を受賞されたアメリカ・パデュー大学特別教授の根岸英一先生が、記者会見で「日本は居心地のいい社会でしょうが、若者よ、海外に出よと言いたい」と言われました。アメリカの経済界ではよく「comfort zoneを越えよ!」とも言われています。安心できる慣れ親しんだ場所や既知の分野を離れ、新しい分野、未知の世界に向けて挑戦することを勧める言葉です。

私は昭和44年に大学院を修了してから約40年間にわたり微生物学に関する研究を続けてきました。研究内容も生物化学工学、分子生物学、生化学、応用微生物学、環境バイオテクノロジーと変遷しましたし、場所も大阪大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、京都大学、立命館大学と移りました。アメリカ留学時には、良く働くポスドクは日本人と台湾人だと言われていましたが、今では中国人と韓国人ということになっています。やはり日本人も豊かになるとその環境に安住し、新しい冒険に飛び出すのが億劫になっているのかもしれません。

講義でも、若い学生に「旅に出なさい。できれば一人旅がいいです」とけしかけています。旅に出るときは少し不安でも、いろいろな人や自然と接するうちに新しい発見に出会うことが多いのです。

MEN WANTED for Hazardous Journey.
Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful.
Honour and recognition in case of success.
Ernest Shackleton

これはシャックルトンが1900年にロンドンの新聞に出した南極探検隊募集広告の全文です。すごいことに、応募が殺到したと言われています。

私は2004年11月から2005年3月にかけて第46次南極地域観測隊の一員として南極に行きました。露岸地域でテントを張り、真っ白い氷の世界を眺めながら、隊員と交流し、多くの試料を採取してきました(写真)。

南極風景  筆者(南極海上にて)

そこからは興味ある特殊な微生物も多く発見できましたが、それ以外にもオーロラを見たり、ペンギンの栄巣地に行くなど非日常の経験をすることができました。それがどのようにその後の生活に役立ったかは分かりませんが、充実感があったことは事実です。日本生物工学会の中には若い(と思っている)人たちが多いと思いますので、このような話題を提供した次第です。


著者紹介 立命館大学生命科学部 今中 忠行

 

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Published by 学会事務局 on 03 8月 2011

【随縁随意】“大学教授生態論”の序文 – 緒方 靖哉

生物工学会誌 第89巻 第7号
緒方 靖哉

生まれ変わったら就きたい職業の一番人気は「大学教授・研究者」だそうだ。3千人余に対する調査の回答(朝日新聞be ランキング2010年8月3日)である。私は国立大学で15年間、私立大学で7年間の教授生活を送った。大学教授の生態は多くの人にとって、秘密のベールに包まれた摩訶不思議に映るらしく、「大学教授はストレスの少ない職業と聞いていますが、仕事の内容は?」「大学教授を目指した動機は?」「大学教授になる秘策は?」のようなことをよく質問された。2度目の退職の機会に、自らの体験を生かして“大学教授の生態論”でも書いておこうと思い立った。

大学教授を分けるのにいろんな分類法があるだろうが、大学の門から一歩も出ることなく教授になるストレート組と官庁や企業からの転向組に分けるのが、大学教授の生態を論じやすいように思われた。現在は、ストレート組が多数派であるが、ストレート組の登竜門である助手(現 助教)席の減少などの環境の変移に伴って、将来は転向組の増加が予想できる。両者の違いを強いて挙げると、ストレート組にロマン派が多く、転向組には現実派が多いと感じる。

大学教授を目指す動機は人によって異なるが、大学教授に適する人は、自分で調べることが好きな人、教えることが好きな人であればいい。これに好奇心と探究心が備わり、想像力も豊かであれば鬼に金棒である。学問・研究はゴールのない競争に挑戦するようなもので、長い間、大学で研究や仕事を続けられるのには、衰えることのない好奇心、探究心、想像力、さらに適度の自己顕示欲と自尊心も必要になる。

大学教授の最大の魅力を挙げると、他の職業に比べて、自由な時間を持てること、自由な研究が保障されていることである。だが、教授になり、さらに教授の地位を向上させるためには、研究業績(論文の質と数)を上げることが必要である。また、教授には、想像以上に知的武装も必要になる。これらには、若い時に、懸命に学び、努力することで対応できる。学ぶことにも旬の時期があり、この時期に阿修羅の如く働いたお陰で、自分自身で実験ができなくなってからも、満足感が持続しているように思う。

名野球人広岡達朗氏が、「どんなに素質のある人でも一度は猛烈に練習に励まねば、何かを掴むことが出来ずに、一流になれないまま何時か消えてしまう」と言っておられる。相通じるものを感じるので、若い人達へのメッセージとしていろんな所で、この言葉を引用している。

こんな内容で、“大学教授の生態論”の執筆構想を練り、後は、若い人が関心を持つように、大学教授の仕事の内容、大学教授を目指す人に知らせたい秘策なども入れようと思いはじめた。執筆の前に、一応、類似の内容を著した書籍の存在を調べたところ、“大学教授という仕事”(杉原厚吉著・水曜社)と“新 大学教授になる方法”(鷲田小彌太著・ダイヤモンド社)が見つかった。杉原先生の著書には、私も経験した仕事の内容がこと細かく記述されている。杉原先生は、私と同様、国立大学の理系の教授であるので、当然と言えば当然のことである。

しかし、鷲田先生の著書を読んで驚いた。先生の主義主張や教授を目指す人への要望などで、私と似た考えが多い。この本の目玉、「大学教授をめざす人に大声で知らせたい10の裏技」(“周囲の研究者の論文を読め”“敵を作らない”“配偶者の選択を誤るな”、以下略)では、これらの裏技の7割は実践していた。しかし、これらの方策は、自分の役割を粛々と果たしていた間に、故意も悪意も持たずに、無意識のうちに実践していたのである。

これら2書は、私が追求しようとしている“大学教授生態論”の本編の核心をついている。この時点で、“大学教授生態論”の著述を放棄し、本編はこの2書に譲ることにし、私の執筆の構想は“大学教授生態論の序文”としてここに残すことにした。国の将来は大学教育に依存するところが大きいと思っており、多くの優秀な若い人に大学教授を目指して欲しいからである。次の世代にノーベル賞の夢を託したい。ちなみに我が家では、医学、農学、工学と領域は異なるが、3代続いている。


著者紹介 九州大学名誉教授、元崇城大学教授

 

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Published by 学会事務局 on 26 5月 2011

【随縁随意】時代の変化に応じた国際学術交流を – 石崎 文彬

生物工学会誌 第89巻 第5号
石崎 文彬

随縁随意の執筆依頼を受けて大分時間がたった。何をテーマに書いたらよいか思いまどっているからである。前に巻頭言の依頼を受けて、どうしてもしゃべりたいことがあってそれを話題にしたところ、編集委員会で論議となり、編集委員長にご迷惑をかけたことがあった(生物工学82(9), 2004 巻頭言)。そのような経験があって、今回は一体何を話題にしようかとたいへん迷ったのである。

しかし、マレーシアからの一通の電子メールによって私の心は決まった。その電子メールは私の親友で、長年家族ぐるみのつきあいのあるマレーシア国立サラワク大(UNIMAS)のProf. Kopliからであった。

そのメールによれば、私が彼とともに、マレーシア政府科学技術振興省(MOSTI)の助成金を得て始めたサゴヤシを原料にするバイオエタノール生産のパイロットプラントがいよいよ完工の運びとなり、間もなく完工式を行う見込みとなったという。思えばやっとここまでこぎ着けることができたかと感無量の思いである。

私がサゴヤシの大きな可能性にひかれてこの資源を新しい循環型炭素資源として開発しようとしたのは、民間企業から九州大学に転じた直後の1980年代末であった。以来本学会とも関係の深い大阪大学国際交流センターを拠点とする東南アジアとの国際共同研究(JSPS program)やNEDO国際共同研究を通じてKopliさんとの共同研究を行ってきた。九州大学を定年退官後もこの魅力的な新資源の開発を中途半端にやめる気にならず、新世紀発酵研究所という個人研究開発会社を設立してKopliさんと開発を継続した。

しかし、マレーシア政府のprojectを受注したものの、マレーシア側の運営のやり方は我が国の方法とは大きく異なり、とくにgrantの支払い時期はあてにはならず、工期は2年、3年後と遅れに遅れ、大学発ベンチャー企業とはいえ100%民間資本の零細企業では継続していくことは難しく、新世紀発酵研究所(後に株式会社ネクファーと改称)は資金が続かず閉鎖のやむなきに至ったのである。にも拘わらず、私のパートナーであるマレーシアの彼らは決してあきらめず、遅れに遅れながらも、当初の計画を修正しながら確実な継続を行い、近々世界最初のサゴヤシを原料にしたエタノールプラントが完成する見込みとなったのである。

近年、いわゆる発展途上諸国も成長し、我が国など先進国の援助の受け入れのあり方もずいぶん変わってきている。すなわち、多くの国が自分の力で事を進めようとして、過去のように先進国の援助にすべてを依存するなどということはなくなった。これは至極当然のことであるが、我が国はこの変化に十分対応できていないように思う。我々はこのような時代の変化に対応して、国際共同事業のあり方を見直さなければならない。

当学会では、JSPS programなどによってすでに30年以上にわったて東南アジア諸国との国際交流事業を行ってきている。これは、我が国にとって貴重な知的資源である。この知的資源を我が国の学術・経済の発展に使用しないことはない。しかしそのためには、相手の国との関わり方も常に相手の立場を考えて変えていかねばならないのである。これは、一言では言い得ない難しいことであり、たいへん英知のいる仕事である。

国際共同研究は経済的利益を生むことが目的ではないが、国益とはなにかを考えて現在実施中の共同研究の進め方を柔らかい発想で常に見直す必要があるのではないだろうか。


著者紹介 九州大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 25 4月 2011

【随縁随意】健忘症に対するささやかな抵抗 – 谷口誠

生物工学会誌 第89巻 第4号
谷口 誠

皆さん、綾小路きみまろをご存知でしょうか。彼はテレビで中高年の視聴者に「何を忘れたかも忘れ……」と笑わせる。皆さんも思い当たるでしょう。私の場合は手の施しようがない。トイレの中では覚えていたのに、2階に上がりかけた所で何を探しに行くのかなぁ。それなら、とトイレに戻り、階段の下までを2度3度と繰り返すうちに諦めてしまう。メガネの紛失は厄介だ。私は近視の遠視の乱視なので、頼りは近くに住む8歳の孫、あっという間に探し出してくれる。年齢に言及したので、人間の記憶力について少し述べよう。大脳の記憶領域に存在する細胞数は赤ちゃんの頃から増えはじめ、ほぼ10歳で最大に達し、成人に達すれば少しずつ減っていく。つまり、アルツハイマーに似た状況に陥っているのである。健忘症の原因はその辺りにあると言えそうだ。

卑近な例で話を進めよう。元大阪大学の蛋白質研究所に在籍され、日本生化学会の会頭までされた脳生化学者の中川八郎先生をご存知の方も多いでしょう。私からの依頼で大阪市立大学大学院の集中講義に何度も来て頂いた。そんな腐れ縁もあり、私の地元岸和田のとある専修学校で先生の仕事を手伝っている。昨年6月~7月に週2回のペースである企画を実施した。

私の担当は整腸と美容に関わる講義と実験であった。もともと微生物屋なので、腸内には善玉菌や悪玉菌が棲みついていることは知っていた。私達の研究室の先輩からオリゴ糖の話を個人的に教わったことがある。小腸で分解吸収されずに大腸に達すると、微生物分解されてpHが下がるそうである。そうなればビフィズス菌などの乳酸菌の仲間が増え、中性付近を好むウエルシュ菌などの嫌気性菌が減るらしい。近くのスーパーで購入したオリゴ糖をヨーグルトの上から垂らして食べてみると便通効果はてきめんであった。

こんな話を広めたところ、異口同音に同じような返答があった。反響は充分であった。これで講義はできると思ったが、食物繊維が気がかりで、何で便に良いのかと考えた。答えはすぐ解った。食物繊維に多数含まれる水酸基と水分子の間の水素結合である。多量の水を抱えて重くなった食物繊維は排泄しやすくなるのであろう。私は若い女性30人から食物繊維で便秘解消との情報を得た。

まだ疑問があった。女性に便秘が多いという問題である。いろいろな女性に生理との関係を聞いたところ、あるパターンがあった。生理の直前は便秘気味、生理が始まると軟らかくなるらしい。書物やパソコンの情報で、女性ホルモンの一つプロゲステロンは血液中の水分含量を上昇させるとある。だったら後は簡単だ。つまり、大腸周辺の血管に大腸内の水が吸い取られ、便が固くなると推察した。便が固くなると同時に皮膚はむくみ、高温期にはプロゲステロンが増え、減少すると生理になる。生理が始まると下痢状態になる人も多いようだ。

残る問題は便秘と美容の関係である。本来排泄されるべき余計な物を体内に留めておけば皮膚に良くないのであろうと思ったが、なぜ肌荒れに結びつくのかは解らない。こんな身近でクサーイ内容の講義を終え、実験は私の十八番、納豆からポリグルタミン酸を抽出して、お肌つるつるを体感してもらった。中川先生から論文にしようや、と言われたが、私には難しい課題なので、本誌をお借りしている次第である。いずれにせよ、今や女性の便秘問題についてはかなり詳しく科学的に話ができるようになった。若い女性にセクハラではないのでと断りながら生理の最中の便について尋ねると、恥ずかしそうに百発百中の回答が得られる。

実は、昨年5月9日に岸和田のだんじり会館に中学校の仲間が集合し、近くの会場に移動してクラス会を開いている。6月5日は備前の同級生の家での小学校のミニ同窓会に参加している。確かではないが、前者の際には食物繊維のことを、後者ではプロゲステロンのことを考えついたのであろう。そもそもさように、私の頭にいろいろな発想が思い浮かぶ時には、常に子供の頃の思い出が関係しているようだ。

皆さん、昔から回想法と言われる手法で少しでもボケを防止しましょう。その一つとして小・中・高校の同窓会に出席しましょう。新しい着想が生まれるのは、そんな時かもしれませんよ。


著者紹介 美作大学大学院(教授)、大阪市立大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 25 3月 2011

【随縁随意】バイオマス活用の促進に向けて-兒玉 徹

生物工学会誌 第89巻 第3号
兒玉 徹

“バイオマス”なる言葉は、今でこそ当たり前のように新聞紙上にもしばしば現われるようになったが、筆者が第17期日本学術会議第6部・生物工学研連の会員に選出された約13年前は、関連する話の前には必ず「生態学で用いられる用語で…」という注釈を付けるのが常であった。その第17期の期間中を通じて、京都大学教授(当時)の上野民夫先生ほか第6部会員数名とともに、石油資源漬けの文明に警鐘を鳴らすための報告作りを進め、次世代以降に化石資源という人類共有の財産を遺すために現在われわれがなすべきこととして、バイオマスの有効利用を最有力候補に挙げたのである。

この検討結果は、第17期終了間際の2000年7月に日本学術会議第6部会報告として、当時の森内閣に向けて「生物資源とポスト石油時代の産業科学 -生物生産を基盤とする持続・循環型社会の形成を目指して-」と題して発表された。ほどなく政権は小泉内閣に代わったが、この報告の内容は2002年12月に同内閣によって閣議決定された「バイオマス・ニッポン総合戦略」の立案に影響を与えたと考えている。「バイオマス・ニッポン総合戦略」の骨子は地球温暖化の防止、循環型社会の形成、戦略的産業の育成、農山漁村の活性化の4本柱となっているが、要は限りある化石資源の使用を抑制し、バイオマス資源の活用により新産業を創出して農業、農村を活性化することを謳い上げたものである。

バイオマス政策推進に関するその後の動きとして、この戦略が2006年3月に「バイオマスタウン構築の加速化」、「バイオ燃料の利用促進」などに重点を置いて見直され、さらに2009年6月には国会全会派一致で「バイオマス活用推進基本法」が成立、9月に施行された。バイオマス活用に向けて政策的支援や法整備が着々と行われるようになったことは大変喜ばしい。

筆者は3年ほど前から(社)日本有機資源協会(JORA)において、主として見直し後の「バイオマス・ニッポン総合戦略」の目玉の一つとされたバイオマスタウン構築加速化の支援に携わっており、最近ようやく政府が2010年度末時点での目標としているバイオマスタウン構想公表数である全国300地域(自治体)を達成する見込みがついたところである(2010年11月末現在286地域)。

ところがバイオマスの有効活用を実現する問題の解決が容易でないことも同時に顕在化してきつつある。構想公表数がまずまず順調に増加している半面、肝心のバイオマス活用の事業化が必ずしも順調に進まず、このままでは構想が絵に描いた餅になることが危惧される地域が少なからず存在するからである。JORAではその問題点を詳細に分析し、バイオマス利活用事業の採算性の確保、燃料を含めたバイオマス製品利用の促進、地域人材の充実、国民の理解を得るための啓発が不可欠であることを2010年6月に主務官庁である農林水産省、環境省に具体的な方策を示して提言した。

その後、2010年12月にようやく「バイオマス活用推進基本計画」が閣議決定、公表された.計画では2020年に国が達成すべき目標として、600市町村でのバイオマス推進計画の策定、5,000億円規模のバイオマス産業の創出、炭素量換算で約2,600万トンのバイオマスの活用が示され道筋が整うこととなった。JORAでは農林水産省の支援を受け、人材養成の一環として5年にわたって170名のバイオマスタウンアドバイザーを養成し全国9ブロックに配置し、地域市町村のタウン構想立案に取り組んできたが、まだまだ人材不足であること、特に事業化に際しての採算性を含めた技術的な面での力不足を痛感している。

今さら言うまでもなく、バイオマス活用の技術的プロセスでは微生物の能力を借りる場面が多いが、それは伝統的に日本生物工学会の最も得意とする分野の一つであり、本学会会員諸兄姉の中にはその分野のスペシャリストとして全国各地で活躍しておられる方が多い。

今強く希望したいことは、学会としてそれらの方々の力を結集して、バイオマスタウンアドバイザーと協力しながら上述の問題点を一つずつ克服し、地域ごとに循環型社会を作り上げることである。さらに望ましくは同様の構想を進めている韓国や中国と協力して事業を東アジア全域にも広げたいと考えている。

ご協力頂ける方々のご連絡を切にお待ちしております。


著者紹介 日本生物工学会顧問、日本有機資源協会会長、東京大学名誉教授
E-mail: (日本有機資源協会)

 

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Published by 学会事務局 on 25 2月 2011

【随縁随意】麹菌と溶姫-北本勝ひこ

生物工学会誌 第89巻 第2号
北本 勝ひこ

麹菌のゲノム解析が完了してから5年ほどたち、約12,000と推定される遺伝子の個々の機能について、日本の大学や産官の研究所を中心として精力的に解析が進められている。私の研究室でもさまざまな遺伝子の機能解析のために、毎日たくさんの学生が麹菌をさまざまな条件で培養している。東京大学本郷キャンパスでは、麹菌を主たる研究対象としている研究室は他にないので、麹菌の培養量では、間違いなくトップであると自負している。これは、歴史的にみても同様であると思っていたが、最近、かつて本郷キャンパスの赤門の近くで麹菌が大量に培養されていたことが推定される下記のようなことを知り、少し驚くとともに嬉しく思っている。

東京大学の赤門は、1827年(文政10年)に第12代加賀藩主である前田斉泰と11代将軍徳川家斉の娘である溶姫が結婚する際に建てられたものである。正式名称を御守殿門といい、将軍家の娘が三位以上の大名と結婚した場合にのみ許されたものであり、火災などで消失した場合、再建は許されなかったので、建設の際には、周辺の町屋などは強制的に立ち退かされたといわれている。

現在の東京大学の本郷キャンパスは加賀藩主前田家の屋敷跡であり、新しい研究棟の建設に際して行われる地下埋蔵物調査では、江戸時代の遺跡が数多く発掘されている。数ヶ月前、埋蔵文化財調査室の先生から、赤門脇の建設予定地で江戸時代の地下式麹室の跡が発掘されたとの連絡を受けた。

さっそく現場を見学させてもらったところ、地下3 mほど掘り返した調査地には、中央の縦穴につづき、四方八方に横穴が開けられており、横穴の入り口には扉をたてたと思われる柱の跡が、また、麹を作っていたと思われる横穴の壁には棚を支えていた竹をさした穴がはっきりと確認できた。あかりを灯したと思われる壁には焼けた土なども見いだされるとのことだった。

江戸時代の書物にも本郷近辺では麹が作られており、味噌などが特産品として売られていたということが書かれているとのこと。関東ローム層からなる本郷台地は、地下式麹室を作るのに最適の場所であったようで、近年、お茶の水の東京医科歯科大学キャンパス付近でも同様の地下麹室が発掘されている1)。また、これらの構造は、神田明神前にある江戸時代から続く甘酒屋「天野屋」の地下式麹室と構造もよく似ていることからも、赤門ができる前は、町屋が並んでおり、麹造りが盛んであったことは間違いないと思われる。

しかし、実際に調査室の先生から、「発掘した麹室に江戸時代に使用していた麹菌が残ってはいないだろうか? これまで、直接、麹菌の検出は試みられたことはないのだが」という相談を受け、現在、麹室近辺のサンプルからPCRなどの最新の技術を駆使して麹菌を検出する試みを大学院生が行っている。もし、江戸時代の麹菌のDNAが増幅できれば、考古学的にも貴重な貢献となるばかりでなく、当時使用されていた麹菌が現代のものとどの程度違うのかなど、醸造学にとっても興味深い結果が期待される。

ところで、一昨年メキシコで開催された糸状菌の国際学会に参加したときに、カビのことをスペイン語でHongo(英語ではFungus)ということをあらためて認識した。以前、東京大学で開催した糸状菌のシンポジウムに招待した英国の研究者が、東京大学の住所を見て、「Hongoはカビという意味ですよ。カビの研究者にとってここは実にいいところだ」と教えてくれたことを思い出した。

私の研究室のある東京大学本郷キャンパスが、麹菌と深い縁のあることを知り、久々に豊かな気持ちを感じながら、あらためて「国菌である麹菌の研究を通じて、文化の香りのするサイエンスを世界に発信する」という研究室の目標を押し進めたいと考えている。これを読まれた皆様も、「麹菌の聖地、本郷キャンパス」に来られる際は是非、赤門まで足を運んでいただき、200年ほど前にはここで麹が造られていたことに思いを馳せていただければと思う。

1) http://www.sakebunka.co.jp/archive/history/010_1.htm


著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 31 1月 2011

【随縁随意】若手研究者・技術者の人材育成について思うこと – 奥村 康

生物工学会誌 第89巻 第1号
副会長 奥村 康

Nature, 466,19 August(2010)にMarc Hauser(Harvard大学)のデータ捏造に関する記事が掲載された。またかである。Evolutionary psychology領域のセレブリティであった人物だけに影響は大きく残っているそうである。被害者は大学やグラントを出していたNIHであろうが、最大の被害者は彼のラボで学位を取った、あるいはポスドクを経験した多くの若手研究者と言えよう。これまでも大学の研究室などにおいてしばしばデータ捏造や不正経理が明らかにされているが、そのような行為は当時者一人が科学界から消えるということだけで済むわけではない。そこに在籍した者、特に若手研究者に対して責任の取りようがない影響を及ぼす。競争的資金獲得や自分の地位保全や向上のためにデータ捏造を含めた不正行為は、世界中で昔も今も発生している。

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」である。研究活動の目的は研究成果を出し最終的に社会に還元することであるが、それだけではない。研究を通して次世代を担う人材の育成が研究成果と同等、あるいはそれ以上に重要な目的である。研究を主導する者には、いわゆる“メンター”としての役目を果たすことも求められているのである。

では、人材とは何か。このところ“企業で求める人材”がいないということを産業界の方から伺うことが多い。企業、あるいは社会が経験の浅い若手の研究者、技術者に期待していることは何かといえば、問題を見つけ自分で調べ考えることの素養であって、大学で教わる初歩の知識や技術ではないだろう。自己学習する能力、それを継続する能力が求められているのである。人はその組織のレベルまでは育つ。それ以上に育てば組織から巣立っていくことになる。組織に所属している人のレベルを引き上げることが、その組織の若手を育成する必要条件である。

いかなる組織においても、若手の手本となる憧れの人材がいること、加えてその方の処遇が見合ったものであれば放任していても先に述べた素養のある若手なら間違いなく育つ。単に技術・スキルが高度ということではなく、考え方や実行力、広い見識、日々の努力などが高いレベルにある人材が傍にいることが必要なのである。人材育成とは、真のプロフェッショナルの傍にいて討論やアドバイスを受けることを通して正しい刺激を受けさせることである。免疫応答のように刺激があればnaïveである若手は活性化し成熟するのである。

若手研究者の基礎を作る段階の大学では、どの研究室も研究資金を獲得するために日々ご苦労されている。
インパクトファクターの高い雑誌への論文投稿を可能とする研究や時代に合った課題を選択されている。それを否定するものではないが、時間や効率を重視するあまり教育・指導といった点が聊か手薄になっているのではなかろうか。結果を出すことを急ぐばかりに、考えることを求めず指示されたことを実施することだけを若手に要求してしまっているのではないか。考えるという習慣を軽視することは、人材育成の立場から絶対に避けなければならない。社会が必要としている人材とは、自分の座標軸を持ち自分で考え学習する力を持った者である。大学は、若手に時間はかかっても自ら問題を見いだし自分で考え解決するという習慣をつけさせることに努めていただきたいものである。

最後に育成される側に立って考えてみたい。誰しもそうだが、特に若手にとっては自分が取り組んでいることや考え方が評価されることが重要で、自信もつくし努力する原動力になる。F. HerzbergやA. H. Maslowが提唱しているように自己実現の欲求が満たされることが成長するために必要である。もちろん、その前に健康や生活の不安がないことなど欠乏欲求を満たしておかなければならない。

大学は研究機関であると同時に教育機関であることを再認識し、人材としての基礎を築いていただければ幸いである。閉塞感のあるこの時期こそ、産学で力を合わせ人材育成に注力しようではないか。本学会もその一助となるよう活動していきたい。

誤解・曲解を恐れずに私見を述べた。年寄りの繰り言としてご容赦願いたい。


著者紹介 鳥居薬品株式会社(開発企画担当・顧問)

 

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Published by 学会事務局 on 21 12月 2010

【随縁随意】事業仕分けと世界一 – 土佐 哲也

生物工学会誌 第88巻 第12号
土佐 哲也

2009年11月に行われた「行政刷新会議の事業仕分け」では科学技術関連予算も俎上にのぼり、かなりの事業について予算計上の見送りや大幅縮減との判断がなされました。その際、マスコミなどで有名になったキーワードは蓮舫議員の「世界一でないといけないのですか? 二番では駄目ですか?」のコメントでした。このフレーズはいろんなところで面白おかしく使われるようになったことはご存知のとおりです。

その後、事業仕分けは民主党政権の目玉政策として脚光を浴び、2010年になってからは「独立行政法人」を対象としても行われました。その際、日本の科学技術のメッカである理化学研究所が昨年と今年の2回とも事業仕分けのターゲットになり、この砦が崩れると大学の研究費などの削減にも大きな影響が出るということで、ノーベル賞受賞者を筆頭にして、多くの科学者、研究者が大反対されたことは記憶に新しいところです。

その当時、「科学研究」、「科学技術」、「学術論文」などの「世界一」について、私が思いましたことをこの「随縁随意」に書かせて頂きますので、皆様のご意見を賜れば幸甚です。

学術論文とか特許というものは、「世界一」、「世界で初めて」、いわゆる「独創性」がないと認められないことは自明の理です。そのため、学術論文ではその内容がいかに「独創性が高く、新事実の発見、新技術の発明かということ」を、「Introduction」と「Discussion」の項で縷々解き明かすわけです。つまり、決して模造・コピーではないことを主張するわけです。また、特許ではこのことがある面では学術論文よりも厳しく、審査時には審査官からよく「容易に類推できるので、特許性なし」と拒絶されたことを思い出します。今年は6月から7月にかけて、サッカーのW杯が南アフリカで開催され世界中で大賑わいでしたが、韓国のプロサッカーのキャッチフレーズに「二番では誰も憶えてくれない! 一番でなくては駄目だ!」という厳しい戒めがあるそうです。

資源の乏しい日本が生き抜いていくためには、「科学技術創造立国」を目指すことは正しい選択です。そのためには、研究成果をあげることが肝要で、個人でも組織でも、(研究成果)=(論文数)×(質)の数式で示すことができます。日本の国立大学法人などの研究者が世界の学術誌に投稿した科学論文(もちろん世界で初めてで独創性のある学術論文です)の数は2006年度から2008年度の3年間で約10%減ったことが内閣府のまとめでわかったそうです。この理由は2004年の国立大学法人化以降、研究者が外部から資金を獲得するための事務負担が増え、研究に費やす時間が減ったことが背景にあるという記事が日本経済新聞(2010年6月24日版)に掲載されていました。これは憂慮すべき事態です。

「科学論文の質の定量的な評価」はきわめて難しく、実際には、一論文あたりの被引用数で比較するなどいろいろな試みがなされています。ただ、今年の3月に行われた日本学術振興会賞の授賞式で、江崎玲於奈審査委員長が「評価するのもされるのも重要であるが、拙速な評価が一番悪い」と指摘されていることは心すべきだと思います。各研究者への研究費の配分は基本的には研究成果(未来への期待度を含む)に基づいていると思います。そのためには「事業仕分け」をするにも質の定量的な評価は常に重要な課題です。

環境・医療・エネルギー・食料などの問題解決に大きな役割を果たす「バイオサイエンス・バイオテクノロジー」には、まだまだ「世界一」を目指せる研究分野があります。

生物工学会の会員の皆様、これからも世界一を目指して頑張りましょう!


著者紹介 本学会元副会長、名誉会員、元田辺製薬(株)副会長

 

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Published by 学会事務局 on 25 11月 2010

【随縁随意】生物と工学のギャップを埋める“生命の神秘” – 阪井 康能

生物工学会誌 第88巻 第11号
阪井 康能

実用化研究で多くの業績をあげられた山田秀明先生が、「大学で行う研究はすべて基礎研究です」とおっしゃったことがある。学生だった当時の私には今ひとつピンと来なかった。基礎で得られた知識・情報・技術を応用展開していくのが当然と考えていた。が、自身の研究生活を通し、何が起こったのか、まったく訳のわからない不思議な生命現象を何度も目のあたりにするにつれ、その考えが変わってきた。

典型的な工学製品、たとえば材料を加工して作り上げていく機械や化学製品、あるいはコンピュータ・ソフトウェアなどは人間が100%その手で作り上げる。車、時計のようなモノばかりでなく、ソフトウェアもちゃんと動かなければ、それは材料に問題があるほかは、設計が間違っているか、作り手のミスが原因である。綿密な設計図をつくるには数学や物理という基礎的な素養、また製作にはそれに見合った技術がそれぞれ必要なので、工学が“基礎から応用へ”と発展したのは自然な成り行きと言えよう。

一方、生物は、我々が何も手を加えなくても、すでに目の前で生を営み動いている。最も典型的な生物工学であるエタノール発酵にいたっては、微生物の存在が知られる以前より、酒造りのための技術やノウハウを人類が獲得し、それを継承してきた。かと言って、酒造りと科学が無縁であったわけではない。自然発生説の否定と発酵現象の解明こそが、現代生物学・生化学の源流である。フランスの醸造組合が、ワイン製造がうまくいかないのに困ってパスツールを訪ねていなかったら、彼の発酵分野における輝かしい業績はない。応用を出発点にして大きな基礎科学が生み出された。そしてその数十年後に明らかとなった代謝反応や調節機構の解明が、新たな応用領域であるアミノ酸発酵・バイオコンバージョンなどの技術として花開くこととなる。

ここで一つ、注意を喚起したい。こと生き物を対象とする場合、機械のようにすべての部品とその役割がわかっているわけではない。私は生物系の工学研究者は、このことを心に留め、声を大にして訴えるべきであると考える。全ゲノム配列、ある生命現象の分子メカニズムが解明されたといっても、それは生命のごく一部、一つの側面でしかない。生物を部品からなる精巧な機械として扱う機械論的な立場では、まだ限定的にしか生命現象を理解できず、生きていることの本質的な理解にはほど遠い。ゲノムは入れ替えられても工学的に細胞が組み立てたられたとは、まだ言えない。ゲノム情報に従って機能するタンパク質の“TPOを心得た”発現は、細胞レベルで見ても分化の過程や環境によって異なるし、個体レベルで見れば、個体間で異なっている。だからこそ、それぞれの個性や顔が生まれ、生物間相互作用や社会が成り立っている。タンパク質のみならず脂質や糖鎖、そのほか多くの二次代謝産物、そしてこれら生体分子の機能など、生化学でも分子生物学でも、わかっていないことが多すぎる。

このように生き物には、まだその発見を待っている未知の部品、機能、生命現象が数多く潜んでいるが、ここで忘れてはならないのが、生命・自然に対する畏敬の心である。特に研究者にとっては、期待どおりにコトが起こらない結果に対する寛容性が必要だ。そういうデータにこそ、新しい生命現象が潜んでいる。

科研費などのグラント審査をしていると、特に目的指向のねらいが定まった申請において、できすぎた話が多いように感じる。システムとして完璧に完結していて非の打ちどころがなく減点しにくいが、生き物を対象としているにしては面白みに欠け、何か物足りない。

研究の独創性は、基礎科学のみならず、特許取得のためにも重要なファクターである。大学における生命科学研究では、どんな小さなことでもよいから新しい生命現象を自ら見いだし、それを発展させるのが独創的研究の基本ではないだろうか。新しい生命現象を見つけることができたなら、その現象の背後にある本質的な理解と、それを何かに役に立てられないかという両面から考えることも重要である。

何が起こるか予測できない生命相手の研究だからこそ、夢も希望も湧いてくる。そのため私は、生き物を対象とした研究を進める上で、少なくともその出発点には、基礎も応用もない生命の偉大な不思議、まさに神秘ありき、と考えることにしている。


著者紹介 京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 10月 2010

【随縁随意】微生物増殖学*のすすめ – 福井 作蔵

生物工学会誌 第88巻 第10号
福井 作蔵

昨秋、日本微生物生態学会**の総会(2009.11.22、広島大学)に招かれ、特別講演をしました。ロートルである私(当時85歳)も名誉ある機会を得たわけで、思いの丈を語りました。予定した講演・討論を無事に終え、自分の席にもどった時、思わず目を疑いました。質問のある人たち10人以上が列を作って待っていたのです。幸せを深く感じた一瞬です。その時の熱い気持ちが今も思い出されます。生物工学会の諸
兄諸姉にも、このコラムを借りて講演内容(大要の要約)を紹介させていただきます。

さて、講演は聴衆と一体化できる話題を取り上げるのが原則である。具体的には、“微生物生態学のための微生物学とはどんなもの”を話題にした。進行は、「現在の微生物学分子生物学は、ともに微生物生態学には適さない」から出発して、「微生物増殖学のすすめ」をゴールとした。

導入は、微生物学の特徴を明らかにするために、その生い立ちを振り返ることにした。微生物学の歴史は「食品の腐敗」と「病気の伝染」の事実検証から始まる。微生物の介在を確認し、“腐敗・病気”と“特定微生物”との因果関係を明らかにした。また、微生物(生命)と酵素(触媒)の区別を実証した。それ以前も、その後も、学者たちは一貫して分析的な考え方を微生物学に適用し続けている。すなわち、現象
を単純化、モデル化することで自然を解釈し、微生物学や生物学の発展をリードした。そして、増殖とは遺伝子(DNA)を増幅、子孫細胞に伝達継承する事象であることを分子レベルで明らかにした。分子生物学の創造である。分子生物学は、いまや最先端の科学技術で、人類に絶大な貢献を果たしてきた。単純化を駆使して得た果実(みのり)である。

「果実」はあまりにも豊かで美しく、私たちは眼を奪われ、つい「忘れもの」をしてしまった。
さて、生物学上の「忘れもの」は,「置去りにしたもの」も含め、その数は想像もつかないくらい多い。
2つの例を挙げて「忘れもの」に対する注意を喚起しよう。

忘れもの1. <複合化>
自然界では、各種の微生物たちは同一空間を共有しながら、相互に増殖を抑制・促進しあい、複合化した社会、たとえば「生態」を形成している。複合化は単純化の対極にある概念であり、「集合による機能の創生」を促進し、生物に新しい可能性を与えるものである。したがって、生物学は単純化と複合化で織り成された学問であるべきだ。なのに、私たちは“複合化”を押入れにしまいこみ、とうとう「忘れもの」
にしてしまった。それゆえ、単純化を基本理念として作り上げた現在の微生物学や分子生物学のみでは、複合化された社会(現象)の解読は困難なのである。

忘れもの2.<生残能>
純粋培養(細菌など)での生育(増殖)実験は、細胞数が指数関数的に増加する点のみを強調し、「増殖を停止した」細胞には目もくれない。「生残能」とは、増殖を停止した細胞が、なおも生きようとする力のことであるが、具体的には増殖機能を再起動させる力のことである。生残能のリカバリーやコントロールは、「生命」の作出や「環境」の評価などに連動する高くて鋭い標的である。

“事業仕分け人”の顔を覗きみると、「そんな忘れものを拾って何になる!」と一喝されそう。「基礎研究のレベルが応用研究のレベルを決める」と反論したいのだが。

さて、生物学における「忘れもの」はきわめて多く、枚挙に暇(いとま)がない。この現実を踏まえる時、ただちに新しい微生物学を立ち上げるべきと思う。手始めとして、微生物生態学の基礎となる微生物増殖学の構築を目指すのはどうであろう。

*微生物増殖学は、著書「微生物増殖学の現在・未来」(福井・秦野 編集監修、地人書館、2008)より引用。
**詳細は「第25 回日本微生物生態学会」のレクチャー・ガイドを参照されたい。


著者紹介 広島大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 27 9月 2010

【随縁随意】日本生物工学会 うたかたの記 – 山田 靖宙

生物工学会誌 第88巻 第9号
山田 靖宙

はじめに身の上話からすると、私は神戸で生まれ西宮市で育ち、六甲山脈を毎日眺めて小学、中学時代を過ごした。自然環境がよく、我が家の周りは水田、貯水池があり、それをつなぐ水路があり、フナ、モロコ、ドジョウ、ウナギも獲れた。昆虫もカブトムシ、クワガタ、多種類のカミキリムシ、蜂も採集できた。初夏には蛍が多数みられ蛍狩りをして遊んだ。夏は香櫨園の浜に出かけメゴチ、ハゼ釣りなど豊かな自然を楽しむことができた。現在の環境は神戸淡路大震災以後大変容し、池は埋め立てられ、畑は集合住宅になり、海岸はコンクリート護岸されている。

中学2年生のとき父親の転職で東京に移り中学、高校、大学は東京で卒業した。千代田区に居住したが昭和20年代の東京都内の自然環境の悪さにはゴミ処理システムを含めて驚いた。都心の下水は完備していたが千代田区を貫く神田川は、排泄物を東京湾に運び、廃棄する船が通い糞尿臭を撒きちらしていた。生物系を目指し、東京大学農学部を卒業、同大学院博士課程を終え、助手を6年務めた。この間有機合成化学を専攻した。

大学紛争が始まり収まった後1970年に大阪大学工学部醗酵工学科に助教授として赴任した。ちなみに大学紛争はフェーズ遅れで京大を経て阪大にも及び、私は東京、大阪でゲバ棒の襲撃を体験した。当時の北千里の阪大キャンパス付近は万博会場に近く、活気にあふれ、会場来訪者で交通渋滞多発地点であった。日本の景気も良く建築ブームの時代であった。

所属研究室の岡田弘輔教授は酵素工学の専門家であり生物有機化学専門の私に酵素の化学修飾の課題を、学科主任の照井堯造教授は放線菌の抗生物質誘導因子の分離構造決定の課題を下さった。いずれの課題もやりがいのある対象で、特に放線菌抗生物質誘導因子(autoregulator)は1999年の退官に至るまでの私のメインテーマになり多くの共同研究者の寄与により成果を挙げることができた。また多数の卒論生、大学院生、ポスドクの研究論文課題となった。

時代とともに本学会の名称は大阪醸造学会、日本醗酵工学会、日本生物工学会と変化してきた。その間、本学会が関わる分野では分子生物学、遺伝子工学などの 手法が駆使されるようになり、私の研究対象である放線菌抗生物質誘導因子の作用機構なども遺伝子レベルで解明することができた。研究手段が進歩し、精緻になるにつれ、それにかかる試薬、装置、人件費などの費用は莫大なものになり、文部科学省の科研費は干天の慈雨であった。

さて、これらの研究成果がどれだけ日本産業に貢献したのかは定かではないが、現政権下の事業仕分けから判断するとどうであろうか。面白い研究成果ですね。しかしそれはどんな役に立つのですか? と聞かれると大学の研究者としては、成果は研究論文として国際誌に投稿しています。引用もよくされていますとしか答えられない。1980年に1年間のアメリカ留学の機会を与えられ、Stanford 大学Barry Sharpless教授(2001年ノーベル化学賞)の研究室に滞在し、工業的に役に立つ不斉合成反応を追求する姿勢を学んだ。その視点から私の当時の実用的な研究成果としてはむしろ費用のかからない有機合成と微生物酵素を併用した簡単な有用天然物の不斉合成法や新規酵素の開発があげられると思っている。

大阪大学を定年退官後は広島県福山市の私学福山大学に8年間勤務した。ここで私学と国立大学の学生の違いを痛感した。福山大学は研究も重視し、優れた教員を多数抱えていたが在職期間8年間における入学生の資質の低下は著しく、少子高齢化の日本の縮図が顕著に見られた。これからの我が国の自然科学系分野の人材育成は初等教育から見直すべきであろう。


著者紹介 大阪大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 26 8月 2010

【随縁随意】未来技術の予測と検証のすすめ – 古川 謙介

生物工学会誌 第88巻 第8号
古川 謙介

21世紀がスタートして10年になる。新ミレニアムを契機にさまざまな分野で期待を込めた予言、予測がなされた。生命工学に対する未来技術予測も例外ではない。20世紀には科学技術の分野で画期的な発明発見が行われた。現在、我々が享受している生活の多くは20世紀の発明発見によって恩恵を被っている。1903年ライト兄弟による飛行機を皮切りにビタミンの発見、抗生物質、超伝導、合成繊維、コンピュータ、DNA二重らせん構造、トランジスタ、有人宇宙飛行、人類の月着陸、遺伝子組換え技術、スペースシャトル、インターネット、クローン羊など、取捨選択に困るほどである。翻って21世紀には何が発見、発明され、どんな生活が可能になるのだろうか。

1973年、遺伝子組換え技術が世の中に登場して間もなく米国議会はこの技術が産業に及ぼす可能性について調査した。“Impacts of Applied Genetics”の調査書が作られ、我が国では「遺伝子工学の現状と未来」と題して家の光協会から出版された。当時この本を読んで筆者は衝撃と大いなる興味をもった。35年経った今日、これを読み返すとすこぶる興味深い。当時、米国を中心とする学者が予想したことが現在、何がどれほど達成されているのかを検証することは予測に比べて気軽な作業ではある。早々に実現したもの、今後も実現しそうにないものなど、さまざまである。

現在、筆者の大学で1年生を対象にバイオテクノロジー論なる授業を行っているが、2000年に文科省が行ったライフサイエンス分野の未来技術予測調査を紹介している。これは我が国の学者の予言をまとめたものだが、学生と一緒にその実現性を議論し、検証するわけである。この中から筆者の興味でいくつか拾いあげてみたい。50種以上の有用動植物の全ゲノム構造解明(2009年)、タンパク質の構造から生物活性と機能ドメイン予測(2012年)、藻類によるバイオ燃料の生産(2014年)、生分解性プラスチックが全世界のプラスチック生産の過半数、遺伝子組換え農作物が社会的理解を得て普及(2015年)、花粉症やアトピー性などの解明が進み完全治療(2016年)、アルツハイマー病の進行阻止が可能(2017年)、空気中の窒素固定能をもつ作物の開発、砂漠化防止のための耐乾燥性・耐塩性植物の実用化(2018年)、そううつ病の原因解明(2019年)、宇宙空間での生物の飼育・栽培技術の開発(2020年)、生命起源の分子機構が解明(2025年)、生物進化の機構が解明され、実証試験(2028年)などなどである。予想の根拠は不明だが、希望的項目も混在しているようである。

科学技術の進展の裏で負の遺産も急速に増えた。生命は36億年前に誕生したが、20世紀後半からの生物圏の環境悪化は急速だ。ホモサピエンスは67億に増え、このまま増加が継続すれば近未来の更なる環境悪化、食糧とエネルギー不足は自明である。21世紀は科学技術によってもたらされた負の遺産を減らす方向に向かうことを期待したいが、ホモサピエンスの飽くなき欲望との戦いになるのであろう。医学の発達により人類の寿命が延びた。日本発のiPS細胞は2006年、世界で初めてつくられた。分化能と自己複製能をもつこの人工多能性幹細胞は、今後どのように利用されるのであろうか? 傷んだ臓器部品を交換することで病気を治し、寿命を延ばすことが可能になるであろう。しかし、それは自然の摂理に反していないだろうか? 人類にとって真に幸福なことであろうか?

オバマ米大統領は最近(2010年4月)、2030年代半ばまでに、火星の有人周回を目指すことを表明した。隣の中国上海では華々しく万国博覧会が開催されている。科学はミクロとマクロに向かって、未知への挑戦を続けている。現代人は往々にして日々の生活に追いまくられ、目先のことを片付けるのに汲々としがちだが、時には夜空を見て、頭から雑念を取り払って未来(技術)を瞑想したいものである。若い時に瞑想したことをメモにとって10年後、20年後に自身で検証することは楽しい作業であろう。
 


著者紹介 別府大学教授, 九州大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 27 7月 2010

【随縁随意】研究者よ、名を残せ - 依田 幸司

生物工学会誌 第88巻 第7号
依田 幸司

「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。」落語・講談の偉人伝の冒頭にいつも使われるので覚えた。良いことで名前を残したいものだが、大悪人として残ってしまうことも……と続けることもある。昨年の本欄に、バッハを聴きながら職業研究者について考察された鎌形洋一先生の名文が載った。本稿の依頼を受けたとき、まず頭に浮かんだのは、その中にあった「研究成果の賞味期間」という言葉と、冒頭の台詞である。研究者の名前の残り方が、日頃から何となく気にかかっている。

学生の頃から、「Publish or perish!」という標語を引き合いに出されて、どんな研究成果も論文を書いて学術雑誌に掲載されなければ消滅して何も残らないと、繰り返し教えられた。進行中の実験の楽しさや先々の成果への期待で、ついつい面倒な論文投稿を先延ばしにする我々への戒めである。思い返せば、バッハもヴィヴァルディも、生涯活躍したあと一度は世の中から完全に忘れ去られてしまった音楽家である。没後、かなり経ってから再評価があり、評価後は長く名声を保っている。自筆や写譜で残されていたものはよいが、失われていれば人類の至宝も取り返しがつかない。

微生物学の歴史について講義するとき、レーウェンフック(1632.10.24-1723.8.26)から始める。オランダの画家フェルメール(1632.10.31-1675.12.15)と一緒に洗礼を受け、遺産管財人にもなったなどと、名画をスクリーンに映して話し始める。「誰が最初に微生物を見たか?」である。レーウェンフック以前に「微生物を見た」人間はいたかもしれない。しかし、観察の報告を、フック(1635.7.18-1703.3.3)がいたロンドン王立協会に送り、機関紙に掲載されたからこそ、発見の栄誉が認められたのである。フックも、没後は若いライバルで後任の王立協会事務長ニュートンによって業績をほとんど抹消され、バネの伸びと力の法則くらいしか一般に名を留めていないが、コルクの細胞の図版を載せた不朽の著作「顕微鏡図譜(Micrographia)」が残されている。この頃に限らず、傑出した人物が同時期に活躍する歴史は限りなく興味深い。パスツールやコッホになれば、もっと具体的な微生物の話が楽しめる。賞味期間はだいぶ長い。

さて、生きている我々の評価など、あまりに暫定的でいつ消えるかしれないが、もう確定的な先代や先々代の頃の業績は、もっと讃えられるべきではないか? 日本の研究は欧米の真似と応用ばかりでオリジナリティがないのに製品を作り稼いでいるなどと、海外の政治家がでたらめな発言をしても、そのまま報道に垂れ流されてしまう。旨み成分の発見から発酵生産までを筆頭に、スタチンをはじめとする医薬や酵素の開発など応用微生物学の成果には、日本オリジナルな業績が無数にある。一度は埋もれた論文でも、インターネットで掘り起こすのは容易になった。企業の研究成果では、ひとりの人名を挙げるのは困難かもしれないし、科学に国境はないけれど、我国の微生物学研究者の名誉は、しっかり守り高めねばならない。

近代・現代の生物科学史の卓越した担い手が欲しい。


著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 6月 2010

【随縁随意】新しい産業革命の渦中にあって-植田 充美

生物工学会誌 第88巻 第6号
植田 充美

「エコ」という言葉が世の中に満ち溢れ、幼児教育に至るまで「エコ教育」が浸透していることに比べて、バイオテクノロジーの基幹技術である「遺伝子組換え」という言葉やイメージ、さらに、「遺伝子組換えの教育」はどうであったのか、「教育」のもつ見えざる潜在力の重要性を痛感する今日です。ところが、地球は、さらに、その環境を保持し、生物の多様性を維持しつつ、持続的社会、すなわち循環型社会の実現という実践的な形態を創れという難題を課してきています。

日本が、「ものづくり」を基盤とする科学技術立国として、また、自然と共生した安心安全な持続可能な社会構築で世界をリードしていくためにも、遺伝子組換え技術を含む環境適合技術によるグローバルで適正なバイオ技術のマネージメントが求められています。地球の未来を予測する時、人口問題、食料問題、資源やエネルギー問題、水問題は避けられない障害であり、これらは、それぞれ独立した問題ではなく、連携したグローバルな問題であるという認識をもたなければ、バイオテクノロジーの将来性は危ういと言わざるをえません。

京都議定書で唯一評価された「クリーン開発メカニズム(CDM)」という国際協調による目標達成の仕組みは、先進国も開発途上国も巻き込んで、開発途上国への経済的かつ技術的協力を含み、デンプン源としての食料増産とセルロース廃棄物によるエネルギー生産という途上国の貧困の解消へも導きうる多次の効果をもちます。植物個体は、食料とエネルギーの両方を共存した素晴らしいバイオテクノロジーによる増産対象であります。食料と自然循環型エネルギーの創出のためには発展途上国への投資と技術移転を促し、地球環境を保全しながら、先進国も発展途上国も世界の国々がスパイラルに発展していく要素が内在しています。こういう自然循環型エネルギーやものづくりの資源ともなる農業をベースとした穀物資源や、林業をベースとした森林資源をもつ国とこれらを有用資源に変換できる工学技術と資本をもつ国が共同して、農工連携という新しい枠組みの「クリーン開発メカニズム(CDM)」を基盤に協調しあって発展する姿は日本にとって、また、地球にとっても未来のあるべき姿であると言えます。これは、廃棄物ゼロをめざすリサイクル社会の実現をめざすゼロエミッション志向の技術の広範な開発と技術移転にも通じるものであります。

ポスト京都議定書に関する種々の国際会議での先進・新興・途上国のエゴのぶつかり合いを目の当たりにして、大地に基盤をおく農業や林業をベースとするグリーンバイオテクノロジーと、それらを変換できる多彩な能力を持つ微生物機能をベースとするホワイトバイオテクノロジーの共同融合連携は、地域から国へ、そして、世界へとボトムアップ的に拡大していかねばならないとの認識の重要性がますます大きくなってきています。

化石燃料をもとに発展してきたこの世界を、食料生産と共存し、しかも食料生産と競合しない環境と調和した新しいバイオテクノロジーを基盤とする循環型の世界へのギアチェンジは、人口問題もからんで、人類を含む地球上すべての生物の種の絶滅を防ぐことにつながっていきます。我々人類は、今こそ、その叡智により、これまでの化石燃料依存の産業構造と決別し、環境保全を基盤とする産業構造へ変えていくという新しい産業革命を実現しつつある渦中にいるという意識を強く持ち、私自身はその縁の下の力持ちになって、新しい世界へ踏み出すバイオテクノロジーの発展に貢献していきたいと考えています。


著者紹介 京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 5月 2010

【随縁随意】E-バイオの幕開け-石井 正治

生物工学会誌 第88巻 第5号
石井 正治

40年ほど時を遡る。筆者は小学校5年生であった。記事全文などは到底読み切れてはいなかったが、ある日の朝刊の見出しに、石油タンパク……なる言葉を見かけた。「石油からプラスチックができるように、タンパク質も化学的に合成できるようになったんだ……。」と、一人合点していた。親や先生に質問すれば間違いにすぐ気づいたであろうが、なぜか、その合点を心の奥に留めておいた。石油成分を微生物に資化させ、得られた微生物菌体を飼料などに使う、というプロジェクトの記事化であったこと、さらに我が国では当該プロジェクトの実用化には至らなかったことを知ったのは、随分後になってからだった。

30年ほど前のこととなる。筆者は東大農学部農芸化学科に在籍していた。微生物利用学I(蓑田泰治先生担当)の講義で石油タンパクが取り上げられていた時、先生は、同時に微生物タンパク(single cellprotein)という言葉も紹介されていた。同じ事柄を紹介するにしても、使う言葉でニュアンスがまったく異なることに愕然とした。特にsingle cell proteinには、余分なものが削ぎ落とされた後に残る切れ味の鋭さをも感じた。「もし、10年前にsingle cell proteinという言葉が使われていたら、歴史は変わっていたかもしれない。SCPポークがスーパーマーケットに並んでいたかもしれない。」と思い、概念の言語化の重要性を噛みしめていた。

10数年前、現在所属している研究室(応用微生物学研究室)の助教授に任命された。研究室の研究対象は広い範囲に及んでおり、さらには学生一人一テーマを掲げていることから、テーマの羅列だけで紙1枚を充分に使ってしまえるほどであった。そこで、「この機会に研究室内のテーマを、自分なりに統一概念で括っておこう」と考えた。出てきた答えは「微生物代謝」であった。単一微生物を対象として、生理生化学を遂行するにも、ものつくりを行うにも、その微生物の代謝のありようを経時的にあるいはリアルタイムに知る必要がある。多種類の微生物が関わる物質変換現象(伝統的発酵食品製造や有機性廃棄物分解)を解析し改質改良するにも、個々の微生物の代謝と微生物群全体としての代謝との両方を知悉していることが肝要である。このような背景のもと、それ以降は、「代謝」という軸でテーマを捉えるように心がけている。

筆者は多年にわたり化学独立栄養細菌(水素細菌)を研究対象としている。分子状水素を扱っていると、プロトンやエレクトロンといった化学浸透圧説の世界が自分の目の前に拡がってくるようであり、二酸化炭素を唯一炭素源として微生物が生育するさまは、太古の生物的営みを垣間見るようで心が澄み渡る気がしてくる。

そんなある日、電気化学専門の京都大学加納先生と親しくお話しする機会に恵まれた。微生物代謝や微生物によるものつくりに対して、統合的観点(言語)を創造することの重要性、導入することの喫緊性、で意見が一致した。過熱気味の討論の中、熟慮していた頭の中に過電流が流れたのであろうか、E-バイオなる言葉が閃き、その概念も芋蔓式に湧いて出てきた。すなわち、E-バイオとは、電子指向型バイオテクノロジー(electron-oriented biotechnology for energy and ecology)のことを指し、脱化石燃料化(ecologyconscious)とuphillバイオの積極的導入を軸とする概念である。さらに、uphillバイオは、E-バイオの技術的基盤を形成するものであり、現状のバイオシステムで生じているエネルギーロスのミニマム化を図るシステム、さらには、エネルギー物質(電子、水素)を反応の場に適切に注入することにより成立するバイオプロセスのことも指すものと定義できた。

言葉の次は実践である。可能な限りの宣伝活動と共に、産官学の先生方に概念をお伝えし、ご批判ご批評を賜ること、概念のさらなるブラッシュアップ、さらには概念をより明確な形に仕上げていくことを旨としている。諸先生方からのご意見をお聴きすることができれば大変幸いである。


著者紹介 東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻(准教授)

 

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Published by 学会事務局 on 26 4月 2010

【随縁随意】アジアにおける今後の国際交流活動のあり方 – 小林 猛

生物工学会誌 第88巻 第4号
小林 猛

鳩山首相は「友愛」というキーワードでアジアとの関係を強めようとしています。日本のGDP(国内総生産、2008年のデータ)は世界第2位、中国は第3位で、インドは第12位ですが、2010年には中国が第2位になると予測されています。また、インドのGDPの伸び率は大変高いといわれています。このような状況を考えれば、鳩山首相の考えがすんなりとアジア諸国に受け入れられるかどうかは別として、日本はアジア諸国との交流、特に経済的な交流を今以上に強めなければ生き残っていけません。トヨタ、日産、ホンダは主として中国で、スズキはインドで多くの車を生産しており、この動きはさらに加速されるでしょう。

これと同様に、本学会もアジアとの関係を今まで以上に視野に入れ、交流を深めていく必要があると思われます。他学会と比較して、本学会は多くの先達の努力によってアジアとの関係を強めてきました。田口久治先生を始めとする大阪大学の先生方の努力は特筆されるものです。韓国生物工学会との学術交流も1998年以来着実に進められています。歴代の英文誌編集委員長の努力によって、J. Biosci. Bioeng.のアジア地域のEditorial Boardは現在9人が指名されており、アジア地域からの投稿論文数も着実に増えてきています。

人口では中国が約13億人で世界第1位、第2位がインドで約12億人、日本は約1.3億人です。中国とインドの人口は増加しているのに対して、日本は緩やかに減少しています。大学生数に関する詳しいデータは知りませんが、日本では大学への進学率が横ばいなのに対して、中国とインドは大幅に増加しています。

この両国の多くの大学での研究施設も急速に改善されてきています。これらの結果、ごく近い将来、両国の大学の研究能力は数の上でも、質的にも日本の大学に近づくか、場合によっては凌駕するでしょう。2009年5月にイギリスの教育情報会社Quacquarelli Symonds社が発表した2009年版アジア大学ランキングによれば、上位50大学の国別数は、日本16、韓国8、中国7、香港5、台湾とインド4、シンガポールとタイ2、マレーシアとインドネシア1、となっています。外国人留学生数や外国人教員数も評価対象に含まれていますから、評価の仕方が問題かもしれませんが、1位香港大学、2位香港中文大学、3位東京大学、4位香港科技大学、5位京都大学、という順番も衝撃的です。

これらの趨勢から、本学会がカバーしている学問領域における今後の研究者数は、これらのアジア諸国において日本より多くなると予想されます。さらに、もう少し時間的に後になるでしょうが、研究者の質も日本より高くなる可能性も有り得ましょう。研究者数に関しては、今以上に高校生に対する情報発信力を高めて、日本でのバイオ分野の研究者数が増える努力をするしかないと思います。本学会としては、国際会員などの制度を設けてアジアの会員を増やしたり、英文誌の論文掲載料を無料化するなどして、アジアの研究者が本学会の活動に参加しやすくする環境づくりも必要でしょう。

研究者の質に関しては、今以上の努力をもっとするしかないようにも思います。日本の教育界の悪い点は、自分の頭で考え、その考えを論理的に説明する能力の養成を怠ってきたことです。研究者を年齢別に見てみますと、若年層ほどこの訓練がなされていません。アジアとの関係では、自分の考えを英語で説明する必要がありますが、自分の考えさえしっかりしていれば、英語が流暢でなくても聴いてくれます。立花隆氏の英語でのインタビューを聞いたことがあります。英語は訥々としていましたが、きわめて論理的な内容でした。大学院のみならず、学部教育、さらには高校や義務教育においてディベートの訓練をすることが肝要でありましょう。本学会としては、どのような取り組みをすれば研究者の質が高まるのでしょうか。このことに関しては、会員各位はいろいろの考え方をお持ちでしょう。

これらのトレンドを念頭に、本学会がどのようにしてアジア諸国の類似の学会と共に協力しながら今後の国際交流活動を策定し、それを実行していくか、が重要であると思います。すぐには効果は出ないことですが、理事会などを中心として会員各位が議論をし、これまでの本学会の伝統をより強めていくことが望まれます。


著者紹介 中部大学教授、日本生物工学会名誉会員、名古屋大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 23 3月 2010

【随縁随意】「科学者」からの提言 – 室岡 義勝

生物工学会誌 第88巻 第3号
室岡 義勝

まだ助教授時代の若かった頃のこと。米国の研究者仲間(といっても初めて会ったのだが)の教授から大学での講義依頼を受けたことがある。アトランタから車で1時間ばかり走った大学街のアッセンスのジョージア大学で講義を行った。その後、この田舎町のレストランで食事をとった時、隣のカウンターに腰かけていた街のおじさんが、うさんくさげに私を見た。教授はすかさず「この人は日本から来たサイエンティストです」と、おじさんに私を紹介した。おじさんは一瞬驚いた顔をして「何と若いサイエンティストですね。この街はめてですか?」と愛そうが良くなった。

私はサイエンティストといわれて面映ゆかったが、サイエンティストは裁判官と同じように特殊な専門職として尊崇を集めていることに初めて気がついた。そういえば、米国だけでなく日本以外(?)どの国の人でもそうである。国際線の飛行機で乗り合わせた隣の人にはまず挨拶することにしている。職業までは紹介しない。話が進んで「国際学会からの帰りです」ということになると、必ず「何が専門ですか?」と聞かれる。この東洋の貧相なおじさんが、バイオとか遺伝子工学をやっている科学者だと知ると、おばちゃんまでが「最先端ですね」と尊敬をこめて感嘆される。たいていの場合、会話はここで終わる。科学者とこれ以上何を話していいかわからないから。

日本人は、控え目を美徳とし、あまり自分のことを学者とか科学者とは言わない。科学者の代わりに研究者であると自分を紹介する。しかし、研究者と科学者は違う。科学者は世の中の科学技術についての深い知見と洞察をもち、国を超えてそれぞれの専門分野で責任を背負っている。だから、世界のどこでも尊敬されるのである。

職業に貴賎はないことは観念的に分かってはいるが、性別や生まれのように自分で選択できないものと、職業のように自分の意思や努力で選択できるものとは違う。後者の意味において、日本は極端な平等主義社会であり、科学者も大学教授も一般労働者と収入も扱いもあまり変わらない。これは、昔から学者たるもの清貧に甘んじることを潔しとする朱子学的思想からきたものであろう。我が国の研究者の社会的地位が高くないのは、一方で研究者自身が科学者として重要な責任を負っていることを自覚しなかったからでもあり、科学者が国の教育・文化・科学政策に対して積極的に提言してこなかったことにもよる。欧米の科学者の多くは優秀なロビイストでもある。

私たちは、研究者から科学者に脱皮し、次世代に続く国の科学政策や地球の未来に責任を負って、堂々と提言することを始めよう。そして、自分の職業は「科学者」であると自信を持って自己紹介しよう。当然ながら、こうした科学者の集まりである学会は、社会に対して影響力のある良きオピニオンリーダーであらねばならない。


著者紹介  広島工業大学健康情報学科 (教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 2月 2010

【随縁随意】テロワールと生物工学 – 清水 健一

生物工学会誌 第88巻 第2号

清水 健一

最近、ワインの世界で「テロワール」という言葉が広く使われるようになっている。「Mediterranean」、「Territory」などと同様にラテン語の「Terr(土地)」を語源とする言葉で、「土地の環境」を意味するが、ワインに関連して使用される場合は、「ワイン用ブドウの品質に影響を与えるブドウ栽培環境」と定義するのが妥当であろう。ワイン用ブドウVitis vinifera は、中央アジアカスピ海周辺の乾燥地を原産地とすることから、水分の極度に少ない乾燥環境を好む傾向がある。それゆえに、テロワールのもっとも重要な要素は土壌、気候、立地ということになる。

良い品質のワインになるためには、ブドウの根の活発な呼吸が重要であることから、ワイン用ブドウ品種は根の酸素要求度が非常に高い。生育期に降水量が多く土壌の排水性が悪い場合には、土壌水分量が多くなり、その分、根圏周辺の空気が減少して根が酸素不足状態になる。したがって、生育期に降水量が比較的多いフランス、イタリアなどを含む地域においては、土壌の排水性の良いことがブドウの生育や品質を維持するために重要となる。また、微妙な排水性の相違で、そこに適する品種が異なる(例として、メドックにはカベルネソービニヨンが適し、それよりわずかに排水性の悪いサンテミリオンではメルロが良いなど)。

根の呼吸と同様に、あるいは最も重要な要因は光合成である。真核生物が18 – 20億年前にラン藻を取り込むことによって獲得したこの機能が、ワイン用ブドウのべレゾン(着色期)以降の成熟過程(ブドウの老化過程)で充分に発揮されることで良質なワイン醸成につながる。このことは、ワインの味、香りの生成が光合成によって合成されるブドウ糖に端を発することを考えると当然のことではある。光エネルギーを極力多く吸収するために、日照時間が長い地域、南向き斜面の畑が望ましい。

気温も、水分蒸散防止のために気孔が閉じない範囲では高いほうが良い。日中に光合成によって合成したブドウ糖の、夜間の呼吸による消費を最小限にするために、昼夜の気温差が大きい(昼は高温で光合成が活発、夜は低温で呼吸が不活発な)地域、すなわち盆地や谷が望ましい。さらに言えば、礫は排水性が良いばかりではなく、細かい土に比して比熱が小さく、昼間は日光で速やかに温まり、夜は急速に冷えるため、礫を多く含む土壌が適している(夜間の低温は、ブドウ果実の成熟を促進する老化ホルモンであるアブシジン酸誘導のためにも重要)。

日本は生育期降水量が非常に多く、土壌の排水性が悪いため、ワイン用ブドウの栽培が非常に困難であり、かつブドウの病原菌であるカビの増殖に適した環境も加わって、良いワイン用ブドウを得るためには多大な努力とコストを要する。また、ピノノワールなどのように、果皮が弱く果実内の水圧で果実が破裂しやすい品種であるがゆえに、日本で栽培不可能または困難な品種も枚挙にいとまがない。

テロワールには恵まれないものの、生物工学の側面から見ると、日本には清酒、焼酎を歴史的背景とした世界最高水準の微生物利用技術、醸造技術が存在する。最近では、醸造業界の夢の一つであった液体麹(呼称:潅水麹)技術もアサヒビールの研究者によって確立された。加えて、実用酵母の育種に関しても世界をリードする研究成果がワイン、清酒、焼酎、酵母エキスなどの分野で発表され、さまざまな細胞融合株、突然変異株が実用化されている。

どちらかというと欧州、特にフランスワインの模倣に終始してきた我が国の国産ワインは、今後の市場での伸張を期待するのであれば、テロワールを克服し、独自性のある方向を模索すべきと考える。成功例として、酵母および醸造技術を駆使した国産の亜硫酸無添加ワインは一定の市場を形成している。原料用ブドウの品質の重要性は充分に認識しつつ、生物工学的手法、独自の醸造技術を駆使した日本独自のワインの確立が急務である。

近年、赤ワインの渋みを担うプロアントシアニジン類に関して、果皮、種子における分布、構造と渋みの質の関係、ブドウ成熟やワイン熟成中のフェノキシラジカルによる構造変化などが明らかになりつつある。実用ワイン酵母の育種ターゲット、さらには、新しいワインの醸造プロセスを考える上できわめて興味深い。

最近の生物工学系の研究テーマをみると、遺伝子関連が圧倒的である。遺伝子研究の重要性を否定するつもりはまったくないが、微生物や自然界からの新たな物質の探索、醸造などの古くからある技術に関連した、研究者として心身ともに鍛えられる泥臭いテーマが急速に減少している現実には寂寞の感がある。若手研究者の皆様には果敢なチャレンジを期待したい。
 


著者紹介 アサヒフードアンドヘルスケアー(株)調味料事業本部(担当部長) 

 

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Published by 学会事務局 on 25 1月 2010

【随縁随意】日本生物工学会のゆくえ-飯島 信司

生物工学会誌 第88巻 第1号
会長 飯島 信司

競争と変革がオンパレードの世相の中で、日本生物工学会も大きな影響を受け、その将来についてよく考える時期がきているように思います。このようなことは何も本会に限られたことではなく、多くの学会にあてはまるのも事実です。

私が本会大会(当時は醗酵工学会)に初めて参加させていただいたのは、ポスドク生活を終え名古屋大学工学部にお世話になった昭和59年だったと思います。田口久治先生が会長で、大阪の日本生命中之島研修所で行われ、発表会場も2つか3つ、参加人数も数百人程度で宿泊も同じ場所、朝から晩まで皆一緒でした。なかなかアットホームな雰囲気で御年長の先生方におかれましては、懐かしく思われる先生も多いと思います。

その数年の後には学会の発展とともに中之島での開催が困難となり、また学会の全国展開に伴い、平成元年の名古屋を皮切りに徐々に全国各地で大会が行われるようになったのは皆様がご存知の通りです。そんな折の平成4年頃、当時副会長の今中宏先生のお取り計らいで理事、編集委員の合同合宿が開かれ、会名変更や学会誌の月刊化が審議されました。活発にまた時には本音で議論して酒を飲んだ後、皆で大広間に雑魚寝をしました。当時編集委員であり、何もわかっていなかった私が永井会長に、なぜ理事と編集委員が合宿するのかと質問したところ、醗酵工学会で評議員を除けば、役員は理事と編集委員だけだという返事でした。今考えると学会の体制も小さく、皆で意見が言い合えた風通しの良い懐かしい時代であったと言えるかもしれません。

その後、諸先輩のご努力で会名を「日本生物工学会」へ変更、全国に支部がつくられるとともに、アジアへの展開がはかられ、アクティビティーもあがってまいりました。その結果、醸造や生物化学工学に加えて、応用微生物学、応用酵素学などで確固たる地位を築いてきたと考えております。最近では、社会的要請から盛んになってきた環境関連の研究をはじめ、時代の流れとも言える動植物培養細胞、医用工学、ナノテクノロジーの研究も増え、その守備範囲も広がっています。

最先端の研究に関わり、科学の発展を牽引することはアカデミアサイドからすれば喜ばしいことですが、研究の方向性が産業のニーズから少しずれてきている面もあると感じています。醸造分野では以前から問題となっていたことですが、最近では、微生物のみならず動物細胞においても培養工学の研究テーマが激減してきています。企業の研究者の方から、「培養法について大学の研究者と議論したいが、やっている人がいない」といった苦言を伺うことがあります。これは私自身にとっても耳が痛い話です。食品や培養関係の、言葉は悪いかも知れませんがいわゆる「オールドバイオ」に携わる大学人はヨーロッパにはまだ多くいます。国民性の違いというものでしょうか。

学会は、学問の進展をはかり、情報交換などを通じて社会へ広く利益を還元することを使命とすることはいうまでもありません。さらにJBBのインパクトファクターがますます上昇し、また本会がアジアをリードする学会になれば、まわりまわって会員の皆様のお役に立てることはまちがいないと考えており、これを推進する所存です。それとともに20年前のあの雰囲気、仲間意識と言っても良いのかもしれませんが、これも大切と考えます。あくまでも理想ですが、学会のいたるところで、会員間でいろいろな交流がはかられ、自由に意見が交換できればすばらしいと思います。このような人のつながりが、その後いろいろな分野や局面で大きな発展をもたらすこともあり得ると思います。

本会が現在抱えている問題の一部もこのようなことで解決の糸口が見つかるかもしれません。もちろん今でも若手会や研究部会などはありますが、賛助会員、企業会員間でも何か交流ができないかなと思います。現在、公益法人化への移行に伴い学会の組織や運営を大きく変える必要に迫られており、このような会員間の交流を考えられないか、頭をよぎった思いを綴った次第です。

 

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Published by 学会事務局 on 22 12月 2009

【随縁随意】パステルカラーの遺伝子組換え- 伊藤 清

生物工学会誌 第87巻 第12号
伊藤 清

昔は大学にも「醸造学講座」なるものが存在したが、だんだんと姿を変え、今は生命科学・バイオテクノロジーを中心とした学科に生まれ変わりつつある。ホームページをみると「醸造」に特化した学科・研究室は、秋田県立大学・醸造学研究室(県立)と東京農業大学・醸造科学科(私立)ぐらいしかないという。

その中にあって、我が鹿児島学では平成18年度から「焼酎学講座」を立ち上げ、醸造の中でも特に「焼酎」に特化した教育・研究を行っている。これについてはいろいろ意見もあることと思うが、地域と密着した教育・研究を行うことには大きな意義を見いだす。また、学生や地域産業の評判も上々のようである。醸造とバイオテクノロジーには共通する部分も多いが、異なる側面も多々あると思う。その最たる部分は、醸造はバランスを重視するが、バイオテクノロジーはそれほどでもないことであろう。醸造物はできたそのものを賞味するが、バイオテクノロジーはその後の精製などでステップを更に踏むところにその原因があろう。

最近、最相葉月の「青いバラ」1)という書籍を読む機会があった。最新の遺伝子組換え技術を使えば青いバラの作製も可能だという。だがこの書籍の中で「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」という言葉を発見した時にはハッとさせられた。この意味はいろいろに取れるだろうが、青いバラを作出しても未だ求めている色とは違うという解釈も成り立つであろう。私は、遺伝子組換え技術は、法的規制や社会的コンセンサスは別にして、可能性を秘めた技術であろうと思う。ただ、現在の技術は未だ熟していないのが現状であろう。色に関して言えば、あざやかなものは作り出せても、中間色の発現はなかなか難しいのであろう。野に咲く花に思わぬ美しさを見いだすのも似たようなことであろう。

さて、醸造もこの「青いバラ」に似たような部分がある。日本では遺伝子組換え技術こそ使えないものの、似たようなことがトリフルオロロイシンやセルレニンなどに対する薬剤耐性を使って実現されつつある。かつては夢のような話であったが、吟醸香(エステルの果実様香味)を多量に産生する醸造用酵母の育種も比較的簡単に達成できるようになってきた。だが、この酵母でつくった吟醸酒が本当にうまいのかと考えると首をかしげざるを得ない。多分、吟醸香を造り過ぎているのではないかと思われる。良い酒とは香味のバランスが取れていることが重要である。吟醸香を適当に含んでいることが重要であるが、このことを達成するのは意外に難しい。

さて、研究として遺伝子組換えを使うのは別であるが、将来優良(微)生物の育種を目指すのであれば、中間的な形質の発現が達成されなければ難しいように思う。遺伝子組換えにおいても、原色ではなく、パステルカラーの発現が達成できるように望む。我々は、醸造の分野においてもっと微妙な育種技術を開発し、真の意味でのテーラーメイド的な醸造が可能となるよう努力していきたい。


1) 最相葉月:青いバラ、新潮文庫(2004)。
著者紹介 鹿児島大学 焼酎学講座 醸造微生物学研究室(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 11月 2009

【随縁随意】日本の技術の国際競争力 – 吉田 敏臣

日本の技術の国際競争力 – 東南アジアにおける環境ビジネスを例に –

生物工学会誌 第87巻 第11号
吉田 敏臣

環境汚染の問題はいまや全地球的な重要課題となっている。アジア地域では、急速な経済成長により環境負荷の増大がめざましく、各国政府はそれらに対応できる政策を打ち出す必要に迫られている。東南アジア諸国では、開発レベルに応じて必要とされる環境インフラストラクチャーが異なる。

たとえば、ベトナムでは下水、し尿処理、産業・有害廃棄物の処理、大気観測と、未整備のものが多く、インドネシアでは下水、し尿処理、医療廃棄物、産業・有害廃棄物の焼却が未整備となっている。タイで未整備となっているのは産業・有害廃棄物の焼却である。これらの問題の解決のために、各国では国際的市場で供給される装置や技術などの最新のリソースの中から経済事情に見合う選択肢を探りながら、公共投資、民生事業、企業活動などいろいろなレベルで事業展開が行われている。

ここで、わが国経済産業省近畿経済産業局が最近行った調査(平成20年3月発表「平成19年度近畿地域における環境・省エネビジネスの戦略的アジア展開支援に係る調査」)に関わった経験から、日本の環境技術を普及・展開する国際戦略を考えてみる。

世界における環境産業の競争力という観点から各国の力を比べると、アメリカが世界で最強であり、ついでドイツ、さらにフランス、日本、英国が続き、日本は第4位にとどまる。アメリカ企業はサービス部門で圧倒的強さを持っており、アジア諸国でもコンサルタントとして活動できる人材が豊富である。ドイツは廃棄物処理に強みを持っている。フランスと英国は、上下水道で他国を圧倒している。日本は水処理と大気汚染対策のプラントの部分で世界をリードしている。そのなかで、アジアにおける1999年の環境装置輸出のシェアは、日本39%、アメリカ27%、ドイツ9%である。これは1995年の実績から比べると、日本のシェアは43%から低下し、アメリカのシェアは23%から増加している。日本の場合国内で培われた高スペック技術を保有しているものの、対外的な販売を目指すときには極端に低い価格を提示しなければ受注できないという状況がある。

日本企業の競争力の低下を招いた理由として次のようなものが考えられる。欧米企業は事業運営まで含めた提案が可能であるが、日本企業はプラント輸出が中心である。欧米企業は価格に見合った品質のプラントや装置を提案できるのに対し、日本企業は日本市場で標準となっている仕様をそのまま持ち込むので、相手国のニーズに対して高価な仕様の提案となる。欧米企業は現地化を積極的に進めるのに対して、日本企業は基本的に日本から装置を輸出することを前提にしている。欧米企業は事業運営で利益を上げるという考え方があるが、日本企業は装置やプラントの輸出で利益をあげるという考え方である。また、アメリカはアジアでの環境技術サービスの支援を目指して、US-AEP(United States-Asia Environmental Partnership)プログラムを策定し、アジア諸国9カ国2地域で合計15都市に事務所を開設して技術協力を行っている。このプログラムを利用して、アメリカの各企業は現地に密着してきめの細かいサービスを提供できる現場対応型の事業態勢を展開することができる。

このような情勢において、今後日本はどのような戦略でもって国際的マーケットで生き残りそして事業の発展拡大を図るかをいろいろな立場で考えねばならない。政策的なこととして、近畿経済産業局が検討している中で指摘されているが(上記報告書)、日本の環境ビジネス企業によるアジアでの事業展開を促進するための当面の課題は、現地ニーズに関する情報の入手、現地パートナー企業の発掘、海外展開に必要な人材確保、日本が提供する技術の現地化であり、それらを解決するための政策としては、情報収集の支援、国の海外展開支援ツールの活用促進、相手国関係者との交流の場の提供、GAP(Green Aid Plan)など国のアジア支援の施策を活用した人材育成や情報発信の支援が考えられる。さらに、日本と相手国政府・自治体の協力のもと両サイドの企業体からなるネットワークを連携させるビジネスネットワークを構築し、種々の問題の解決に活用することが考えられている。

一方科学技術プロパーのセクションから考えてみる。日本は科学技術立国を標榜すべきだという見解があり、得意の物作り精神でいろいろと工夫を凝らし独自の優秀な製品を作り出して競争力を高めてきたといわれている。日本人はいろいろの状況に対応して最適のものを作り出す能力を有しているわけで、東南アジア諸国の現実に応じた解決策は現場に赴いてその中から見いだすのがより効果的であると言える。また、日本の科学技術を競争力のあるものにするためには、シャープな掘り下げだけでなく、知識を豊かにし幅広い経験を培ったうえで柔らかい頭で工夫を行うことが必要である。われわれ科学技術に携わる者は、鳥瞰的見方をもって戦略的に計画・設計を進めて、融通性豊かで競争力のある技術の展開を目指して努力をすることが必要であることを痛感する。


著者紹介 大阪大学名誉教授、日本生物工学会名誉会員、大阪府環境農林水産総合研究所(所長)

 

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Published by 学会事務局 on 26 10月 2009

【随縁随意】魅力が失われつつある職業研究者についての独り言 – 鎌形 洋一

生物工学会誌 第87巻 第10号
鎌形 洋一


今バッハのパルティータ(組曲)を聴きながらこの文章を少しずつ書いている。というと趣味的な話で恐縮であるが、バッハが300年近く前にチェンバロのために書いた楽曲である。最近この曲をピアノで演奏している演奏家が多いが、ピアノで弾くバッハは何という美しさと表情の豊かさだろう、とつくづく思う。チェンバロのややもすれば耳障りな固い金属音で聴くバッハと比べ物にならないくらいのダナミックレンジと陰影で表現される世界はまったく異次元である。

バッハの時代はピアノの原型が出現したばかりであるが、現代のピアノの出現を予見し、その音を想像してこれらの作品を書いたとしか思えない。それくらい、ピアノが紡ぎだすバッハの音の世界は魅力的なのである。バッハは一時期人々から忘れ去られたが19世紀に復活した。そして今日に至るまで綿々と弾き継がれ、聴き続けられている。遺された音符が、何百年の間、表現様式を変えながらも人々の心をなお捉えてやまない。

そんな音を聴きながら、ふと私達のような研究者が生み出すものは一体どれだけの賞味期間を持つのか、そしてそれはある意味において芸術足りうるのかと考えると忸怩たるものがある。そもそもバッハと瑣末な自分の研究とを比べること自体きわめて愚かしい。しかし、かつて、レオナルド・ダ・ヴィンチの世界は芸術と科学と工学が一体だった。

“最後の晩餐”や“モナリザ”とともに数多く遺されている解剖学や数学や工学の研究も一人の人間によって成し得たものである。あくなき探究心と好奇心と技術、そして努力がそれを実現させたのである。アントニ・ファン・レーウェンフックも一人で顕微鏡を作り、あらゆるものを観察し、その内容を日記やロンドン王立協会に遺している。たくさん作った顕微鏡のうち最もお気に入りのものは誰にも見せなかったという。一人でコツコツと何かを探求することが研究の主流だった時代、その行為そのものが一種の芸術を生み出す行為に似ていたと言える。

何かが生まれる時もあれば何も生み出さなかったこともあり、それらはすべて一人の世界での話であった。そんな人種がこの十数年の間に絶滅危惧種となりつつある。選択と集中、社会貢献、国民への説明責任、評価、目標達成度、費用対効果、産学連携、知的財産、そういう言葉で科学技術は語られるようになった。ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生がニュートリノの研究は何に役立つか?と新聞記者に問われたとき、何の役にも立ちません、と言われたと聞く。ニュートリノ計画も有識者による事前評価が最低だったとおっしゃっていた。何の賞も功績も挙げていない研究者が自らの研究を何の役にも立たんです、と言ったらどうなるか? その結末はあまりに自明だろう。

今、研究を志す若い人たちは、ポスドクとしてのみならず、身分保障期間が数年の特任教員や任期付研究員として成果を短時間に求められる世の中になった。生物学やバイオテクノロジーの分野においても多くのパラダイムシフトをもたらす発見があった。それは芸術やプロスポーツほどではないにせよ多くの人々の心に刻まれてきた。しかし、今その時代は終焉を迎えようとしている。これからも画期的な発見や発明がなされてゆくであろう。しかし、科学と科学を生業にする環境があまりに変容し過ぎた。知的好奇心の発露と成就だけで科学は成り立たないし、科学を行うためにはあらゆる非科学的な手続きが必要な時代である。一人でコツコツ誰にも見向きもされなくても自分で満足を得ることですべてが完結していた時代を懐かしむつもりはない。ただ、多くの人が職業研究者になってみたいと思える時代が終わったことは確かである。いや、正確に言えば、こんなに職業研究者がいる時代自体がおかしいのかもしれない


著者紹介 産業技術総合研究所ゲノムファクトリー研究部門(研究部門長)

 

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Published by 学会事務局 on 28 9月 2009

【随縁随意】断想:五十年は一昔 – 左右田 健次

生物工学会誌 第87巻 第9号
左右田 健次

歌舞伎の「熊谷陣屋」に、わが子を若き敵将、平敦盛の身代りに死なせた熊谷直実が「16年は一昔。ああ夢だ、夢だ」と呟いて、花道を去る時の有名なセリフがあります。私が微生物のアミノ基転移酵素を対象にして、京都大学で研究の世界に入った1956年から50余年、直実の一昔の3倍を超す歳月が流れました。当時、生物工学や分子生物学といった言葉もありませんでした。酵素液の透析はセロファンで行い、グルタミン酸などを別として、少し特殊なアミノ酸は、Greenstein とWinitzの“The Chemistry of AminoAcids”を参考にして合成し、ブタ腎臓のL-アミノアシラーゼで光学分割して調製しました。この本と、後年購入したA. Meisterの“Biochemistry of Amino Acids ” は生涯、座右の書となりました。

1957年、日本で最初の生化学分野での国際会議として国際酵素化学シンポジウムが東京と京都で開かれました。論文で名前を知っている海外の名だたる研究者の講演が聞けたのは、研究者の卵にとって、大きな刺激になりました。その翌年、オキシゲナーゼの発見で知られた早石修先生が米国のNIHから京大医学部医化学教室に移ってこられました。医化学教室のセミナーは学内外を問わず自由に参加でき、討論の激しさは今も耳に残っています。渡辺格先生が東大から京大ウイルス研究所に来られ、木原均先生門下の由良隆先生や小関治男先生が活躍され始め、のんびりムードの京大にも活気が出てきました。この頃、素粒子論の湯川秀樹先生が渡辺先生や発生学の岡田節人先生などと語らって、学内に生物談話会を作られました。湯川先生が、「これからは生物科学の時代であり、孤独を恐れないで未知の生物の世界に挑むように」と、物静かに話された言葉は胸を打ちました。今の生化学や生物工学から往時を想うと、隔世の感を覚えます。ここに自らを省察しつつ、若い研究者への思いを二、三、記します。

山岳部で登山に明け暮れした頃、先輩から、(1) 対象の山を決め、隊を編成してルートを探し、トレーニングに励む準備の段階、(2) 実際に山や岩に登る段階、(3) 山から帰って、報告会で山行の報告や討議をし、登山記録をまとめて次の登山に備える段階、はいずれも同じ重要性をもつと教えられました。研究においても同じことが言えると思います。グループのリーダーがまず心血を注ぐべきは研究テーマの選定です。よきテーマとは何か。難しい問題ですが、学会や論文などで、次のテーマを常に心にかけていなければならないと思います。敬愛する有機化学の大先生が、「普通の研究者は、今、何が研究されているかを知るために、論文を読み、講演を聞くが、一流の研究者は、今、何が研究されていないかを知るために、読み、聞く」といわれたことがあります。研究対象に向う道も、山登りのルートと同様にいくつかあり、対象の程度と自分の実力や研究環境を勘案しながら、試行錯誤を重ね、先達に教えを請い、十分な準備の上に次第に目的の頂に迫るのは研究者の苦しみでもあり、醍醐味でもあります。

研究結果を論文にする過程もまた、苦しみと楽しさの入り混じった道です。英語で論文を書くのが一般的になっていますが、英語で書くのが難しいのではなく、合理的に結果と論旨を展開して、読み手に理解させることが難しいのです。自然科学の論文の英語は高校1年か、2年のレベルです。仮定法過去完了形を使った論文は見たことも、書いたこともありません。論理は日本語でも英語でも同じです。良き論文には、次のステップへの示唆が含まれています。また、言語の感性を会得するために、小説や随筆を読むことも大切です。早石先生から、英米に行ったら、彼の地のベストセラー小説を読み、立原正秋などの文章の美しい小説を読むように勧められました。Meister先生からは、ドイツのG.グラスの小説の英訳は平明だからと勧められたこともありましたが、怠惰な私は実行しませんでした。日本人の苦手な方法論や新しい研究試料の開発も望まれます。基礎を忘れても、惰性的な研究はできるでしょうが、大きな飛躍は難しいと思います。分子量にDa(本当はドルトンでしょうが)を付けるような論文が散見されるのは残念です。また、生物工学の研究者が生命を支える水の構造や溶液論にも関心を持ってほしいと念じます。


著者紹介 京都大学名誉教授

 

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Published by 学会事務局 on 25 8月 2009

【随縁随意】水に生きるバイオ – 微妙な感性 – 佐々木 健

生物工学会誌 第87巻 第8号
佐々木 健

「水と生きる」というのは有名なバイオ企業の企業メッセージだが、約170年前、天保11年ごろ、西宮から灘(神戸)へ、牛車で大量の水を樽に詰め運ぶ、「水に生きる」人たちがいた。それを見た当時の人々は、タダの水を金をかけて遠方に運ぶなど愚かな、とあざ笑ったという。この荷主、山邑太左衛門(山邑酒造)は、西宮と神戸に蔵を持っていたが、いつも西宮の蔵の酒が芳醇で酒質がよいことに気づいていた。米や杜氏を変えてみたが結果は変わらなかった。そこで、西宮の水をわざわざ金をかけて運んで醸造したところ、神戸でも西宮と同じような芳醇な酒ができたのである。有名な醸造用名水、宮水発見の逸話だ。以後、西宮から大量に水を運ぶ水車や水舟が大繁盛し、「水屋」という真の水の商売、いわゆる「水に生きる」人々が多く生まれたのである。

ここからは歴史書にない私の仮説であるが、太左衛門は「きき水の名人」であったのではないか。舌で、西宮の中硬度水(硬度約100 mg/l)と神戸の軟水(多分硬度30 – 40)の違いを認識していたのだろう。おそらく、微妙な感性の持ち主のバイオ家であったからこそ、大金をかけ、嘲笑を気にせず水を運んだに違いない。

優れた企業家は研究者と違い、好みや興味で大金は使わないからだ。確信があったのだろう。私自身は生物工学の技術士だが、きき水のプロを自認しており、中硬度水と軟水の違いはきき水ですぐ判る。酒を飲みすぎていない体調のいいときは(めったにないが)、水を舐めれば硬度や有機物、炭酸など分析値が頭に浮かぶ。40年の経験と修練のたまもの。よく、曲を聴くだけで音符が浮かぶ「絶対音感」をお持ちの音楽家がおられるが、私は「絶対水感」といい、舌で分析値までおおまかに識別できた。太左衛門も同様にきき水のプロだったと、技術士として思えるのである。このような感性は主に経験、教育、修練で生まれると私は思っている。

この「絶対水感」が大いに役立った事例がある。広島に電磁鍋が広まり始めた7–8年前、技術相談を受けた。電磁鍋を納入された有名店の板前さん(テレビで有名な料理人)が「味が乗らない。これはだめだ」というのである。困った技術営業は、食品専門の大学や研究所、つくばの研究所まで相談に行ったが理由がわからない。途方に暮れ私のところに来た。私と院生は電磁加熱の水を舐め、両名直ちに水の硬度が上がっていると鑑定した。長期間の不明、困惑の原因が2名の舌ですぐ分かったのだ。「二枚舌」だが本当の話。この院生も初めは水道と湧水の識別もできなかったが、長くきき水の修練をさせていた。

原因は以下のとおりだ。広島の軟水だとよく素材のダシが出るが、中硬度水や硬水だとダシが出にくい。豆腐ににがりを入れ固める理屈(塩析)で、ダシの表面タンパク質が固まりアミノ酸やペプチドが出にくくなり、味が乗らないのである。問題はなぜ電磁鍋だと硬度が上昇し、通常のガス加熱だと上昇しないのか。これを2年かけ解明した。電磁鍋は従来にない急速加熱なので、水が激しく運動し、鍋表面に付着した水アカが剥離することが多く、一方、ガス加熱では対流によりゆっくり加熱されるので、水アカの剥離が加熱中きわめて少ないことを解明した1)。結局、鍋表面に特殊処理を施し、水アカ付着を防止し解決。その改良電磁鍋は好評という。

典型的バイオプロセスである酒の醸造ばかりでなく多くの食品加工においても、用水の水質の微妙な違いが製品に影響していることが知られつつある。まさに「水が製品を左右する」時代なのだ。消費者嗜好が高級化しつつあるからである。これからのバイオは感性が必要と思う。

発酵でも用水中の0.05 mg/l程度の微量の鉄分の存在で、目的生産物の質、量が思わしくない事例もある。中国に進出した日本のバイオ企業が、軟水器で硬度さえ落とせばよいと軽く考えて工場を新設したが、微妙なミネラルバランスやその他の成分で、製品が日本のようにできないという話をよく聞く。化学的な分析に加え、水の色、テリ、触感などの微妙な違いやきき水などの総合的な感性が用水の良否判断に必要ということだろう。

最近のバイオの教育を見ていると、コンピュータや遺伝子技術が進歩して、感性の育成がおろそかになっている気がする。培養の時、菌の増殖、成分変化のデータをチェックするだけでなく、培養液の色、匂い、濁り具合、流動性など、五感をすべて使っての細かい観察をする姿勢も、感性育成には必要と思う。学校や企業の教育研修でも、昔の機器のない時代を思いかえし(温故)、基本的な分析や培養実験を繰り返し、五感を育くみ、感性で乗り切る教育(知新)も、これからの高度な技術を要求されるバイオ技術者育成には必要ではないかと、最近、水と酒を舐めつつ思うのである。


1) Sasaki, K. et al.: Int. J. Food Sci.Technol., 41, 425 (2006).
著者紹介 広島国際学院大学(教授、地域連携センター長)

 

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Published by 学会事務局 on 05 8月 2009

【随縁随意】日本微生物学連盟の設立とIUMS2011-冨田 房男

生物工学会誌 第87巻 第7号
冨田 房男

「日本微生物学連盟が設立されてから1年経過したところで何を」と思われる方も多いでしょうが、一方、まだご存知でない方もおられると思い、ここでその内容と設立の経緯をご紹介したい。

まず、我が国の微生物学の状況について私見を述べてみたい。我が国は、微生物学部が存在しない数少ない国である。世界の多くの国々では微生物学部が存在し、広域にわたる教育、共同研究が行われているのに対して、我が国では、医学部では病原菌のみ、理学部では単に道具として、工学部と農学部では応用にとその興味の対象としての存在でしかなかったように思われる。総合的な微生物学としては存在し得ない、あるいは研究の材料としての意義しか考えていなかったのであろう。

その結果として、学会も狭い範囲の小さなものがたくさんあるが、外から見ると日本の微生物学を代表するのはどこなのかも分からない。たとえば、国際微生物学連合(International Union of Microbiological Societies, IUMS)から見ると日本の対応学会はどこなのかが分からないことになる。

そこで日本学術会議の下にあった微研連(微生物学研究連絡会)で上述のような我が国の微生物学分野の統合について議論が開始された。その中でIUMSの副会長に私が選ばれ、実際に理事会に参加してみると、我が国の微生物学関連学会は統合性に欠け、外からその活動が見えない状況にあることがますます強く感じられた。連盟設立の案が浮上してきたが、学術会議の改組もあって微研連の中では決着がつかず、学術会議の改組後総合微生物科学分科会(基礎生物学委員会・応用生物学委員会・農学基礎委員会合同)とIUMS分科会(基礎生物学委員会・農学基礎委員会・生産農学委員会・基礎医学委員会・臨床医学委員会合同)は、合同で分科会を開催し、上記の微生物学関連の学術団体の連携を検討してきた。そしてIUMS分科会および総合微生物科学分科会の共同で平成19年2月7日、日本微生物学連盟(Federation of Microbiological Societies of Japan: FMS Japan)を設立した。立ち上げメンバーは、筆者(冨田房男)、篠田純男、今中忠行、光山正雄、野本明男、堀井俊宏である。

その目的とするところは、以下の通りである。

  1. 我が国の微生物学関連学術団体の連携強化と微生物学分野全般に関わる研究及び教育の推進を図り、社会活動を通して我国におけるこの分野の発展に貢献する。
  2. 我が国の微生物学分野の研究成果の世界に向けての発信に努める。
  3. 国際微生物学連合(IUMS)における我が国の微生物学関連組織として国際交流に努める。

立ち上げメンバーとして20学会に参加を表明していただき、活動を開始している。本会も重要な立ち上げメンバーである。その最初の大仕事はIUMS2011(札幌)を主催団体として成功させることである。幸いにも学術会議への共同開催の申請も認められ、いよいよその実行に向けて活動することになった。連盟としては、初めての大きな行事が国際会議であることから、さまざまな試行錯誤があると思われるが、実行委員長として何とか成功させたいと実務を開始したところである。

我が国でIUMSの会議が開かれたのは1990年が最後であり、21年ぶりのことになるため、経験者も少なく心配なことも多いが、過去の成功を収めた会合と遜色なく実行すると同時に、我が国の微生物科学およびその応用技術の優秀さを世界に発信したいと考えている。

微生物学すなわちウイルス、細菌、真菌、原虫などを対象とする研究領域は、生物多様性、環境保全、バイオテクノロジー、新興再興感染症、バイオテロなど、関連し合う多くの研究領域を包含している。微生物は、先端生命科学研究の対象として重要であるばかりでなく、地球環境維持など、人類の未来にとっても非常に重要な必須の存在である。実際に、微生物を包括的に研究することの意義は近年ますます高まっている。

そこで2011年には、Bacteriology and Applied Microbiology, Mycology, Virologyの3部会の会合に加えて、これらの部会の共同開催になるブリッジングセッションを多く持つようにすると共に、一般市民に向けてのいわゆる「アウトリーチ活動」を行うように準備している。ここで、微生物科学の基盤生物学としての重要性と我々の暮らしとの係わり合いがよく分かるような企画を考えているところである。

関係者各位のIUMS2011へのご参加を今からお願いしておきます。また、日本微生物学連盟へのご支援・ご協力をお願い申し上げます。


著者紹介 IUMS2011 国内組織委員会(委員長)、日本微生物学連盟(副理事長)、放送大学北海道学習センター(所長)

 

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Published by 学会事務局 on 25 6月 2009

【随縁随意】放線菌って,どんな生物?-宮道 慎二

生物工学会誌 第87巻 第6号
宮道 慎二

「放線菌って、どんな生物?」と聞かれたら、まずは次のサイトを紹介してその魅力的な姿に触れていただく。日本放線菌学会がHPで公開している「Digital Atlas of Actinomycetesc注1)」である。特に見てほしいのは、FrontispieceやSection 4~7に掲載されているたくさんの顕微鏡像、その美しさに浸ってほしい。胞子が発芽し基生菌糸として伸長・分岐し、次いで気菌糸が形成され、菌糸に隔壁が入り胞子へと熟成していく。胞子嚢を形成する一群や運動性胞子を形成する一群もある。このような形態分化とその多様性、しかし、それでも放線菌はバクテリア、れっきとした原核生物である。さらに興味をお持ちなら、写真450枚を収載した『放線菌図鑑(朝倉書店1997)』が放線菌学会から出版されている。

一方、これまでに発見された抗生物質は約1万種と言われるが、そのほぼ2/3は放線菌の生産物で、おそらく、200の化合物は医薬や農薬として実用化されている。微生物生産物の探索から開発、そして生産への各ステップで「生物工学」が重要な役割を果たしてきたことは言うまでもない。この形態と生産物の多様性という2つの特徴こそ、放線菌が他のバクテリアと区別されて扱われてきた所以である。

典型的な放線菌のゲノムサイズは6~9 Mbpと非常に大きく、大腸菌、枯草菌、結核菌などのほぼ2倍である。この大きな遺伝情報によって多様性が確保されている。しかし、どうして放線菌だけがこのような多様性を獲得できたのだろうか、不思議である。私は放線菌のキャッチフレーズとして「Actinomycetes, charming and useful microorganisms」を使っている。ただ、近年の分子系統学の進歩は、従来の「少なくとも生活史の一時期に分岐を伴う糸状形態を示すグラム陽性細菌」という放線菌の定義が必ずしも系統進化の道筋と一致していないことを明らかにしてきた。菌糸と胞子を形成し、かつて典型的放線菌と考えられてきたある種のバクテリアが16S rRNA遺伝子解析の結果、系統的に大きく隔たるFirmicutes門に属していたという例もある。

化学分類の立場からは、「DNAのGC含量が55 mol%以上」という性状も加味される。放線菌の範囲については議論もあるが、日本放線菌学会刊行の『放線菌の分類と同定(毎日学術フォーラム2001)』では、Actinobacteria 門、Actinobacteria 綱、Actinomycetales目と定義している。この定義に従うと、現在、放線菌は約200属、そのうちの約半分は菌糸状形態を示さない。

それでは、この生物、自然界でどのような生き方をしているのだろうか。放線菌は代表的な土壌細菌であり、1グラムの肥沃な土壌中にその胞子や細胞が100万個を超える高い密度で生息し、土壌中に含まれる植物分解残渣などの難分解性有機物を好んで分解・資化している。自然界の物質循環で極めて重要な役割を担っていると言えよう。

このように放線菌は多くの属・種によって構成されるが、分離される株数としてはStreptomyces 属に属するものが圧倒的に多い。ただ、放線菌の分離・分類や生態学的な研究に関わっているとStreptomyces属以外の希少放線菌、いわゆるrare actinomycetesがおもしろい。

実は、今の私は「落葉の分解過程の一時期、ある種の希少放線菌が主役を担い、ある種のバクテリアと協調しつつ生態系を主導している」という作業仮説を立てて仕事をしている。放線菌フローラと関わりのあるフィールドワークは楽しい。ところで、最近、放線菌を主人公にしたテレビ番組を制作するチャンスに恵まれた。NHK教育テレビの「10 minボックス」の「クスリをつくる微生物」と題した番組で常時、動画配信されているのでご覧いただければと思う注2)。この番組作りの過程で起こった不思議な出来事については、「赤い糸がつなぐ運命的再会」と題して本誌(2008年3月号)に掲載していただいた。

最後にちょっとだけ宣伝させてください。今年の日本放線菌学会の年次大会は初夏の7/16-17に秋田県立大学が世話人となり秋田市で開催されます。日本生物工学会会員のみなさん、多数ご参加ください。この魅力的で有用性の高い微生物群の応用について議論し、さらにはバイオを研究対象、あるいは研究材料として扱える喜びを共有したいものです。


注1) http://www.nih.go.jp/saj/DigitalAtlas/の「Section」へ
注2) http://www.nhk.or.jp/rika/10min2/index_2012_020.htmlの「第20回」へ

著者紹介 製品評価技術基盤機構バイオテクノロジー本部
(NITE/NBRC) E-mail:

 

 

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Published by 学会事務局 on 25 5月 2009

【随縁随意】環境・バイオマス研究のあらたな取り組みへ – 長島 實

生物工学会誌 第87巻 第5号
長島 實

「『食』を燃やす」ことへの感覚的な反論も落ち着き、国内では、酵素によるセルロース糖化技術の開発が20年ぶりに進行中である。メディアは「非食」(非食植物や植物の非食部)の使用を前提条件としており、これに筆者は異議を唱えたい。バイオマス研究は、「食」との連携を確保し、近未来や非常時に備える農業基盤を整備することこそ大事だからである。食の余剰部分や第1.5世代と総称する食未利用部分にも目を向けつつ、「非食」を「食」に変える技術開発を目指したい。食料供給が長期的には逼迫することを見据え、私たちバイオマス研究者は、世界に向けた農業貢献が期待されている。

遅まきながら欧米の先行に伍する国産技術開発が始まり、助走段階から抜けつつある。農水省は開発型テーマの基盤整備に向け、農村活性化の視点から委託プロジェクト「地域活性化のためのバイオマス利用技術開発」4テーマを平成19年度から進めてきた。3年目を迎え“折り返し地点”にあたる今年は、原料確保から地域循環まで、エタノールを鍵とする繊維質変換プロジェクトの再編成の最中にある。ここでは、「育種・栽培」「変換」「モデル化事業/地域循環」など横断/網羅型の開発チームが発足しているほか、「ガス化/発電・メタノール」「ディーゼル油の商用化」など、多面的にバイオマス利用の研究が進められている*。

「地域活性化」という本プロジェクトのキーワードこそ、私たちバイオマス研究に携わる者の覚悟である。地球上の生命を支える緑地の減少防止にどこまで寄与しうるか、まして気候条件の恵まれた東アジアモンスーン域にありながら耕作放棄地の拡大が止まらない国土荒廃にどう歯止めをかけるか、農業振興に生かす道を大切にしたい。今、石油や天然ガスなどのエネルギー資源は、今後の持続的供給が懸念されている。

バイオマス利用は、光合成のエネルギー効率(1/1000程度)が太陽光発電(1/10)に比べて低いものの、触媒の自己増殖能や低廉な供給という点から、持続型リアクターとして、単なる“食べ物”にとどまらない機能も生かせよう。世界が1年間に供給する食糧44億トンはガソリン消費(12億kl)や原油消費(50億トン)に敵うものではない。内燃機関の効率改善も喫緊とはいえ輸送用燃料への変換も通過点にある。何より、非食を食に転換する繊維質の糖化は人類の夢である。

その変換モデルとして、自然界に学ぶべきものは多い。たとえば、担子菌や菌根菌のような“植物への侵入者”の戦略を生かしたい。リグニン分解の多様な微生物関与や日和見的な栄養交換、共生系担子菌の宿主乗り換えなどが注目される。動物腸間のメタゲノム解析にも、共生系の多様性が見えてきた。メタゲノムの解析はミクロの世界のエネルギー争奪を次第に明確にし、Chemolithotrophs(化学合成無機栄養生物)など有機物の世界を急拡大させている。足りないのは、今、微生物学の再発見の時代における研究者の俯瞰的な視点かもしれない。

さて、“ポスト資源消耗文明”に向けたバイオ技術の意義が問われて久しい。この社会的要請に対する生物システム研究の貢献の遅さに忸怩たる思いを抱く。と同時に、足早な技術開発と同軸には語れぬアセスメントの厳しさを思う。Precautionary principle(予防原則)が求める配慮はリスクの適切な先取りであって、慎重な回避とは異なるリスクベネフィット議論である。今、われわれを取り巻くIT社会は、変動の激しい社会構造をつくりだし、情報の非対称化を生みだした。そんな時代の「リスク認識」は、まさしく情報の非対称である。そんな“向かい風”のなかで、私たちがなすべき貢献を社会にきちんと伝えたい。自然の多様さに配慮したうえでの光合成生産性の向上こそが、重要な時代を迎えているということを。

それにしてもこの100年、人類にもっとも必要な一次産業に対し、バランスある投資や配慮がなされてきただろうか。へたな商業生産に陥っていないか。燃料供給も社会的要請によるものとはいえ、現在の環境技術は総じて石油依存の落とし子であり、それらの環境特性は適切なのか。研究者/技術者の社会への情報発信は足りていたか。

昨年惜しくも逝去された戸塚洋二さんは、“次代に負を残すな”を嫌いな言葉として挙げておられた。生物屋の慎重さに忸怩たる思いを抱きつつ、つくづく楽観的、挑戦的でありたいと思う。


*http://nfri.naro.affrc.go.jp/yakudachi/biofuel/index.html
著者紹介 
(独)農業・食品産業技術総合研究機構(バイオマス研究コーディネーター)、食品総合研究所(研究統括)

 

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Published by 学会事務局 on 27 4月 2009

【随縁随意】チェンジ – 英文誌  大竹 久夫

生物工学会誌 第87巻 第4号
英文誌編集委員長 大竹 久夫

英文誌のスタイルが変わったことをご存知でしょうか?今年から英文誌が有料配布になりましたのでまだご存知ない方もおいでになるのではと危惧しております。ぜひ一度学会のホームページを覗いてみてください。Elsevier社のデザインによる新しい英文誌の表紙には昨年の表紙写真コンテストで優勝された筑波大学王碧昭先生の糸球体上皮細胞のカラー写真が使われています。表紙を飾るカラー写真につきましては今後も公募を行い半年ごとに更新する予定です。

ところで今回の英文誌の変更は一昨年秋から取り組んで参りました当学会の収支改善に伴うものです。海外大手出版社ElsevierSpringerおよびWiley-Blackwellの3社と交渉を重ねた結果Elsevier社と新規契約を締結することとなり昨年10月中国大連市におきまして塩谷捨明会長とElsevier社のB. Straub氏により契約書の調印が行われました。

今後は編集委員が担当する業務を除きましてElsevier社が表紙のデザインから印刷原稿の作成までを担当します。このため英文誌の表紙にはElsevier社のロゴが新たに登場しましたが当学会のロゴを左上に据えることにより本誌が当学会の英文誌であることを主張したつもりです。本文につきましても一頁当たりの文字数を増やすため使用フォントと文字サイズが変わりましたが論文タイトル要旨や文献表記などはこれまでの英文誌のスタイルをできるだけ継承するよう努めました。

また昨年秋からElsevier社より無料提供された電子投稿編集システムを使用することにより編集作業はさらに円滑なものとなっております。もちろんこれらの取り組み全体が学会の収支改善に大きく貢献したことは言うまでもありません。

英文誌は今成長するアジアにおける生物工学分野のトップジャーナルを目指しています。英文誌の年間原稿受付数は2006年には312に過ぎませんでしたが2007年に406と初めて400台に到達し2008年には481にまで増加しています。海外からの投稿数も増え続け2006年に105であった年間受付数は2008年には239と倍増しています。一方論文の受理率は投稿受付論文全体では約45%海外からの投稿論文に限って言えば約24%に留まっています。年間原稿受付数が500に届こうとする中編集委員一人当たりが担当する論文数は年間20を超えるに至っています。海外から盗作論文が投稿されてきた事例も一度ならずあり論文の審査にはこれまで以上に神経を使わざるを得なくなっています。編集委員の多くは研究活動にも積極的に取り組んでおられる若手の会員であり編集作業の負担増が気になります。言うまでもなく学会本部で英文誌の編集に従事されておられる方々への負担はさらに厳しいものとなっています。会員の皆様におかれましてはこのような状況をよくご理解頂き英文誌投稿論文の速やかな審査にご協力をお願い申し上げます。

英文誌のインパクトファクターは2006年に1.136と初めて1.0を超え2007年には1.782にまで増加しています。面白いことに英国のTaylor & Francis出版社から頂戴した資料によりますと国別にみたJBB掲載論文引用回数の過去5年間の伸び率はブラジルが600%中国が350%スペイン韓国およびインドがそれぞれ200%を超えているのに対して日本国内での引用回数の伸び率は−100%とむしろ減少しているようです。またElsevier社提供の統計資料によりますと2007年の段階で過去2年間に一度も引用されなかった英文誌掲載論文の割合は35%もあり5年間のスパンで見ましても32%あります。英文誌掲載論文の約3分の1が2年間に著者自身も含めて一度も引用されていないことには驚きを感じざるを得ません。会員の皆様におかれましては英文誌に掲載されたご自身の論文を掲載年から2年以内により積極的に引用して頂きますようお願い致します。

最後に今年11月に神戸市で開催される国際学会APBioChEC2009の要旨集を英文誌の特別号として出版する予定です。この要旨集の編集作業にはElsevier社より紹介のあったOxford Abstract社の簡易編集システムが使われます。このシステムは大変良くできておりほぼ自動的に要旨集の編集が可能です。アジアを中心とした国際学会を開催される場合には英文誌特集号を要旨集や論文集にお使い頂けますと英文誌の宣伝にもなりますのでぜひご検討下さい。
 


著者紹介 大阪大学大学院工学研究科(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 25 3月 2009

【随縁随意】不確実にこそ新たな可能性あり – 森永 康

生物工学会誌 第87巻 第3号
森永 康

昨年来の金融危機は、各方面に計り知れない影響をおよぼしてきた。100年に一度の事態とも言われ、米国中心の資本主義経済の根底が問われている。経済不安や雇用不安が高まり、これからの社会がどのように変化して行くのか、不確実な中で誰もが強い不安を感じている。こうした社会の不確実性は実に困ったものだが、こと研究に関しては不確実なことは日常茶飯事である。

研究というのは、要は、やればできることをやるのではなくて、できるかどうか分からないことに取り組むわけで、本質的に不確実性をもっている。不確実性の中から可能性を見いだし、新しい原理原則を導き出すのが、研究の要諦ではないかと考えられる。

ラインホルト・メスナーという登山家がいる。たった一人で、酸素ボンベの助けを借りずに、人類初のエベレスト無酸素単独登頂を達成した。彼は「不確実なことにこそ挑戦する価値がある。最初から成功が約束されていたら人生の全てをかけることなどできない」と言っている。命を懸けて前人未到のことを成し遂げるというほど大げさでなくとも、メスナーの言っていることは研究にも当てはまるように思う。

長年企業の研究開発に関わり、2年前から大学での研究に携わって感じるのは、この不確実性に対する許容度の違いである。企業の研究開発では、経営的観点から研究開発投資の採算性が常に問われる。したがって予算を認めてもらうために、確実性の高い目標を設定し、達成時にもたらされるであろうメリットを明らかにする必要がある。多くの企業で目標管理制度が導入されており、成果目標の達成が個人目標となっている。つまり、不確実な目標では予算も獲得できないし、個人の査定にも響くことになるので、どうしても不確実性に対する許容度が小さくなりがちである。

これに対して、大学の研究では、たとえ目標達成の見通しが不確実であっても、目標と異なった結果になろうとも、結果が出て一流誌に論文が掲載できれば、まずは成功。その結果が社会に役立つ成果につながれば大成功。結果良ければすべて良しで、不確実性に対する許容度が大きい。
こうした不確実性に対する許容度は、当然のことながら研究のステージによっても異なる。基礎段階は投入資源が小さい限りは許容度が大きく、開発段階は必然的に投入資源規模が大きくなるので不確実性に対する許容度が小さくなる。

科学技術の開発にはシーズ発掘からはじまって実用化までに不確実性の度合の異なるいくつかのステージがあり、これらのステージのどこかで壁を乗り越えられないと実用化には到達しない。しかし、何といっても重要なのは、もっとも不確実性の高いシーズ発掘段階であろう。シーズが発掘されないと何事も始まらない。産学連携も研究の不確実性への対処手段だと考えると分かりやすい。不確実性の高い基礎段階は大学が担い、確実性の高い開発段階を企業が担うのは合理的である。

ここで気になるのは、最近大学の研究資金の中で競争的資金の割合が著しく増大している点である。競争的資金では多くの場合、企業研究と同様に成果目標を明確化し確実に達成することが求められ、不確実性に対する許容度が小さくなりがちである。不確実性に耐えてシーズ発掘すべき大学が、研究費稼ぎのために不確実なことを敬遠してしまうと、長い目で見ればシーズが途絶えてしまうことになり、大きな問題となる。

特に若い研究者が安全志向になり、やれば必ず結果が出るような研究ばかり志向するようになると、新しい発見につながるような研究ができなくなってしまう。科学技術立国を標榜する我が国としては、不確実であっても可能性を信じてチャレンジする若手研究者を数多く育成して、優れた技術シーズを数多く創造することこそが大切である。そのために、企業における基礎研究や公的な競争的資金にもとづく研究のマネージメントは、不確実性に対してもっとおおらかになっても良いのではないだろうか。

「不確実にこそ新たな可能性あり」。前人未到の世界はここから切り拓かれるのだと思う。


著者紹介 日本大学生物資源科学部(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 26 2月 2009

【随縁随意】和菌洋才- 加藤 暢夫

生物工学会誌 第87巻 第2号
加藤 暢夫

源氏物語千年紀と日本人科学者によるノーベル賞受賞は、文化・学術の領域で2008年に最も話題になったことであるが、その両者に共通している点は「日本語と外国語との関わり」にあるように思える。源氏物語は美しい日本語で書かれており、18カ国語に翻訳されているという。しかし、当時は和魂漢才といわれ、宮中では漢籍を最高の教養とし、紫式部の漢籍に対する高い素養なくして源氏物語は成立しなかったと言われている。一方、ノーベル賞受賞で特に新聞紙上を賑わした話題は、益川俊英博士の英語嫌いであった。しかし、益川博士は南部陽一郎博士の英文の論文をなめるように読んだとのことで、英語の素養は科学者にとって必須であることはご本人も強調されている。大切なことは和魂洋才ということにあるようだ。

英語が苦手な筆者が特に関心を持ったのかもしれないが、「ノーベル賞を支えた日本語」という新聞記事(京都新聞2008年12月18日付け朝刊)まで出現した。その中で、柳沢浩哉氏(広島大学)は、膨大な外国の用語を和製漢語に翻訳する過程の重要性を指摘されている。さらに、漢字熟語には意味を一瞬にして読み取り、発想や想像が膨らむところがある、と説明している。この指摘には、科学の領域だけでなく日本語でものごとを考えることの特徴を示しているように思える。和魂漢才にしろ、和魂洋才にしろ、日本の文化は常に翻訳という過程を通して成立してきた。この過程は一見無駄なように見えるが、ものごとの本質がわからなければ、よい翻訳とならないことは確かであり、そこに日本独特の科学が芽生える栄養があるように思える。

生物工学の領域で言えば、昆布の主要な呈味成分がグルタミン酸ナトリウムであることを池田菊苗博士が発見してから100年が経った。その発見から約半世紀を経て、Corynebacterium glutamicumを用いたグルタミン酸発酵技術が創出され、次いで、リジン発酵に代表されるような代謝をコントロールして目的物質を生産する制御発酵という手法が開発された。取得した変異株のアミノ酸生産性を説明するために、大腸菌の代謝調節機構に関する欧米の最新の知見が活用された、と聞く。横関健三氏(味の素株式会社)が本誌(86巻493頁)に、日本独自の実学における独創性について述べておられるが、アミノ酸発酵はもとより、そこに挙げられている多くの技術の独創性の源は微生物探索にあり、さらに近代科学を駆使した分離菌の潜在能力の向上にある。言ってみれば「和菌洋才」の結果である。

本会の会長でもあった福井三郎先生(京都大学工学部)は、海外では、ご自分の研究に加えて日本の発酵技術の紹介をされることが多かったと伺っている。筆者も1986年にドイツで一度拝聴したことがあったが、先生は日本地図のスライドを用いて、日本の国土がいかに気候の変化に富み、微生物種が豊富であるかを説明され、日本の伝統的発酵技術そして当時の先端的発酵技術を紹介された。ご講演の趣旨は、日本の豊富な微生物資源が探索技術の深化を促し、伝統的な発酵技術の理解が新技術を生み出す基になる、といったものであったと記憶している。C.glutamicumの代謝工学の研究で有名なドイツのHermann Sahm教授から、この福井先生の講演を契機に日本の応用微生物学に特に注目するようになったと聞いたことがある。

京都曼殊院に「菌塚」があり、海外の微生物学者が京都を訪れたときに案内することにしている。菌塚は酵素関連の会社を経営されていた笠坊武夫氏が「菌恩の尊さ」を形にして建立したものであるが、西洋の科学者にとっては、日本の応用微生物学のレベルの高さは理解できるものの、この「菌恩」という思想は禅と同じように難解なようである。しかし、鬱蒼とした杉の木立を背景にして置かれた塚には何か神秘的なものを感ずるようで、緊張した面持ちで塚と対峙してくれる。この菌塚建立に際して、応用微生物学を代表する研究者の方々が感想を述べられておられる(http://www11.ocn.ne.jp/~kinzuka/)。その中で山田秀明先生は、「学問を進めてゆく過程で、ややもすれば自らの利害や得失にとらわれて、微生物を研究の道具としてのみ考えがちであり、われわれが微生物、そして他の動物や植物と同じように大自然の中の存在であり、ともに大自然の円滑な循環の流れをなしていることを忘れてしまうのである。」という言葉を寄せられている。「大自然の円滑な循環」は西洋の生態学が教えるところであるが、日本ではすべてのものに魂があるという気持ちで微生物に接するところがあり、そこに「菌恩」を感じる素地があるように思える。

翻訳の過程から、原著にはない新しい思想を生み出したものが、日本独自の文化・科学・技術として世界が認めるものになるのかもしれない。


著者紹介 京都学園大学バイオ環境学部(教授)

 

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Published by 学会事務局 on 18 2月 2009

【随縁随意】若き生物工学研究者に期待する- 手柴 貞夫

生物工学会誌 第87巻 第1号
副会長 手柴 貞夫

明けましておめでとうございます。皆様には良いお年をお迎えのことと存じます。昨年は英文誌の有料配布、印刷形態の見直しなど抜本的な改革をご承認いただき、文科省科研費補助金に依存しない財務体質を築くことができました。会員皆様のご理解とご支援に改めて感謝申し上げます。

昨年は食糧、エネルギー、環境など21世紀の地球的課題解決に、改めてバイオテクノロジー(生物工学)への期待が高まった1年でした。一方で、大学院博士課程進学者の減少、博士号取得者の就職問題、修士課程修了者の早期・長期化した採用時期の問題など、大学院教育・人材育成を巡る課題が浮かびあがった年でもありました。本誌でも昨年「キャリアパス」の連載で取り上げています。知の創造を担う大学は勿論のこと、知の活用を担う産業界にとっても、人材育成や大学院教育は他人事ではありません。日本学術会議ではこれら諸課題の解決に対して、昨年8月に政府と社会、大学への7つの提言をまとめています。

提言1では大学に、育成すべき人材像を明確に示しつつ、新たな時代に相応しい博士号取得者の育成と、専門分野に関する深い知識と研究能力に加え、複眼的な広い知的視点が得られるような人材育成の体制構築を提言しています。企業の採用における博士号取得者への不満にも、関連分野の幅広い知識や関心の不足を指摘する声が多いのも事実です。博士取得者が大学や公的研究機関の研究者として進むだけでなく、行政や産業界に大いに進出する、行政や産業界も歓迎して受け入れる、という好循環を生み出さなくては、科学技術創造立国を標榜する日本の明日はないような気がします。大学や公的研究機関に進む研究者にとっても学際領域や融合領域が重要性を増す今後、複眼的視野は一層必要となります。

私が協和発酵工業(株)に入社し、基礎・基盤研究を担う東京研究所に配属された1971年には、13名の研究職のなかに2名の博士取得者がいました。工学博士の彼は高分子化学の専門家でしたが、自ら望んで当時最先端領域の植物組織培養の研究に進み、この分野の基盤を確立しました(彼はその後、得意な数学を生かして発酵工学分野に進み、工場でのコンピューター制御による発酵プロセスの基礎を築きます)。私自身は核酸関連物質と抗生物質の生産菌育種と発酵プロセスの研究に、各7年間従事するという幸運に恵まれしたが、入社10年までにはほぼ全員が研究所から本社、工場あるいは工場を支える開発研究所に転進しました。企業は個々の研究者の適正を考慮して、研究以外で活躍可能な多様な職場を用意しますが、日頃の関連分野への幅広い知識と強い関心がその後の活躍の基盤になるように思います。

博士課程取得者への産業界の不満に、コミュニケーション能力やマネージメント能力の不足を指摘する声もあります。私は研究管理者の時代を含め、約20年間研究所に勤務後、半ば志願して本社の開発に従事しました。新規(主に発酵)生産物ならびに有用(発酵)物質の新規プロセスの研究開発です。開発は研究、生産、営業のトライアングルの中心となる部署だけに、関係部署との調整、国内外企業との共同開発、大学・公的研究機関との共同研究を通じて、マネージメント能力やコミュニケーション能力の重要性を知らされることになります。そこではほとんどの企画開発が多額の損失を伴う失敗に終わる辛酸を舐めましたが、数少ない成功の美酒を研究、生産、営業の仲間と味わった喜びは格別でした。

21世紀の地球規模の課題に多様な分野での生物工学研究者の活躍が期待されています。また、イノベーションを創出する大学や研究機関のみならず、産業界や行政など多様な社会が生物工学者を必要としています。末筆ながら、学会に所属する若い生物工学研究者はじめ皆様のますますのご活躍を心より祈念致します。

http://www.SCj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-t62-11.pdf


著者紹介 協和発酵キリン株式会社(技術顧問)

 

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